作成者別アーカイブ: 京井良彦

本を速く読むためのたったひとつのコツ

先日、ピケティの書評を書いたりしていましたが、多くの人の反応は「あの本全部読んだの?すげー」というものでした。
本の内容より、あれだけ分厚い本を読破したことの方に興味を持ってもらえたということです。
ピケティより、僕に興味を持ってもらえたという意味ではうれしいですね。
なので、今日は、僕がどんなふうに本を読んでいるかを紹介します。

最近はさすがにちょっと少なくなりましたが、僕は数年前まで年間500冊ほど本を読んでいました。
500冊というと、週に10冊ですね。
もっとたくさん読んでいる人もいっぱいいるでしょうが、一般サラリーマンとしてはそこそこ読んでいる方でしょうか。

読書に充てる時間は、平日の朝、夜と移動時間、それと休日まとまった時間がとれれば、という感じです。
基本は紙の書籍を購入し、気になる部分があったページの端を折りながら読んでいきます。
最後に赤ペンを持って、もう一度折ったページのところを開いていって、気になっていた部分に一気に赤線を引いていきます。

赤線がものすごく多かった本は、電子書籍でも購入し、Kindleに入れて常時携帯しています。
とにかく、量をこなしたいわけですから、大切なのはスピードです。

reading

とはいえ、僕も昔は本を読むのが遅くて、すごく苦手でした。
フォトリーディングとか、世にあるいろんな速読術も試してみましたが、どうもうまくいきませんでした。
でも、そんな試行錯誤の中で、あるとき本を速く読むためのひとつのコツに気づきました。

それは「アウトプットの場を先に決める」というものです。
本を読むということは、インプットの作業です。
でもインプットというのは、それ自体は目的になりません。
何らかのアウトプットという目的があって、その手段としてのインプットであるはずです。

であれば、最終アウトプットの形によって、インプットの方法自体が変わってきます。
つまり、何のために読むかによって、読み方自体が変わってくるということです。

僕の場合、アウトプットの場は以下のようなものです。

・仕事の企画、アイデア、事例
・コラムなんかの原稿への引用や参考
・ブログでの紹介
・講演やセミナーへの引用や参考
・人との会話や対談

こういったアウトプットの場をいくつか持っておいて、その手段としての本を選んで読むわけです。
こうすると、アウトプットをイメージしながらそのための必要箇所を探しながら読み進めることになります。
結果的に一語一句すべて読む必要がなくなり、スピードが上がるということです。

逆に言えば、読んだもの全部がアウトプットにつながる、無駄のないインプットになります。
読んだものをきちんと自分の血肉にするという意味で、本を読むスキルというのは「錬金術」みたいなものなのです。

これは何も本だけの話ではありませんね。
ブログやメルマガを読んだり、映画やアートを見たり、セミナーやカルチャースクールに参加することもそうです。

アウトプットの目的や目標がないのにインプットを続けても、それは時間を浪費して遊んでいるだけになってしまいます。
使う目的のないお金を貯蓄し続けているようなもんです。

子供の頃は、学校の勉強が退屈でつまらないと思ってましたよね。
それは、将来どんなアウトプットつながるか分からずに、ひたすらインプットの授業を受けていたからです。

企業の活動でもそんなところがありますよね。
その昔は「工場」のように製品をアウトプットする場しかなかったのに、そのうちに「研究所」とか「シンクタンク」とかインプットの場がでてきました。
それがうまく回っている時はいいのですが、いつしかインプットが目的になってしまって、巨額の研究費を投じていながら全く新製品に結びつかないという事態が起きたりします。
そうなってしまうと、意味ないですよね。

これは確か、ちきりんさんのブログか本かだったと思いますが、「インプットだけならアウトプットだけの方が圧倒的にまし。インプットだけの人はいてもいなくても世の中は変わらない」という言葉がありました。
厳しいですが、一理ありますね。

ただそこまで言うなら、ちょっと反論もあります。
たとえば、「アプトプットの選択肢を広げるために、手当たり次第インプットが必要な場合もある」ということ。
僕の場合、そんなときはあえて普段自分とは関係ない世界の本を、ゆっくり時間をかけて読んだりしています。

どうでしょう、ちょっとは参考になりましたでしょうか。
今日はこのへんで(^^

「価値を見極める力」が大事!

ちきりんさんの新刊「マーケット感覚を身につけよう」を読みました。
うーん、何と言うか、いま僕がこの業界で仕事にしていることがスパッと言語化されていてスッキリすると同時に、「ここまでタネ明かしされるとやりにくいなあ」と思ってしまうものでした。

本書の主張は、「市場で自分の価値を見極める力」は、ロジカルシンキングではカバーできない、これから最も大切になるスキルということです。
一流大学を出て一流企業に10年も勤めながら、「自分には売れる能力がない」と考えて、忙しい仕事の合間に学校に通ったり資格を取得したりする人が増えています。
それも否定はしませんが、実はどんな分野であっても10年も働いたのなら「売れるもの」、つまり「市場で価値のあるもの」は、既に持っているはずなのです。

足りないとすれば、それは「価値のある能力」ではなく、「価値ある能力に気づく能力」です。
個人であっても企業であっても、これからビジネスで必要なスキルは「売れるものに気づく能力」、言い換えれば「価値を認識する能力」だということです。
ちきりんさんの本ではこれを「マーケット感覚」と呼んで、論理的思考の対岸にあるもうひとつの必要スキルだと述べられています。

value

その昔、仕事で必要とされるスキルは「読み書きそろばん」と言われたました。
2000年代にはそれが、「ロジカルシンキング」「英語」「リーダーシップ」「ITリテラシー」などになってきました。
本書では、さらに最近それが変わってきていて、これから求められるのは「マーケット感覚を含めたもっとメタな能力」(具体的なスキルよりもっと上位に位置する汎用的な能力)だと言います。
それが「市場での自分の価値を見極める能力」だということです。

これは「マーケティング」と「マーケット感覚」との比較で説明されています。
マーケティングは、ビジネススクールでは4Pという「Product」「Price」「Place」「Promotion」のフレームワークとして学びます。
しかしいくらフレームワークだけ理解しても、その根底にあるマーケット感覚がなければ、単なる言葉遊びで終わってしまいますよね。

では、「マーケティング感覚」とはどんなものでしょう。
本書では、トヨタ自動車の日本の工場から世界に広まった「カイゼン」が例としてあげられています。

トヨタの海外拠点では、このカイゼンは、「歩留まりを高めるノウハウ」として実践されました。
しかし、本当の「カイゼン」の思想は違います。
日本の工場で実践されていた「カイゼン」は、ノウハウではなく、不断に現場を改善していこうという一人ひとりのワーカーたちの意識です。
そういう現場の経験から得られる市場に対する根源的な理解が、「マーケティング」ではなく「マーケット感覚」だというわけです。

最近は、サッカーやフィギュアやテニスなどのスポーツ番組の放映権が高騰しています。
その理由は、ドラマやバラエティーなどが録画視聴されることに対して、スポーツにはリアルタイム視聴での価値があるからです。
これに気づけば、テレビというビジネスの価値も変わってきます。
「テレビを観る人が減っている。テレビビジネスは厳しい」と考える人がいる一方で、「リアルタイム視聴のコンテンツを見つければテレビの未来は明るい」と考える人が出てくる。
「価値を見極める力」によって、テレビビジネスで見える未来の姿が変わってくるわけです。

僕の仕事も、このように「マーケット感覚でクライアント企業が持っている価値を再定義していく」というものです。
クライアント企業に見えている「わが社のこんな価値」があるでしょう。
でも、マーケット感覚で見極めると、その価値はこれまで考えもしなかったもっと大きな価値を秘めている可能性があります。
そんなことを見つけ、クライアント企業のパートナーとして具現化してくサポートをしています。
なので本書に「タネ明かしされた」と思ってしまったわけです(汗。

さて、本書の最後にもありますが、世の中のいろんな変化、例えば、少子化や高齢化などは悪いようにばかり捉えられがちです。
でも、新しいビジネスは、医療や介護、食品や小売り、旅行やアパレル、ロボットやITまで、この変化にどんどん対応し、より豊かな未来を創っていこうとしています。

つまり、個人でも企業でも、マーケット感覚を身につけるということは、変化が怖くなくなるということです。
急速な社会の変化に不安を感じてビクビクするか、逆にチャンスを見出してワクワクするか、ということです。
環境の変化に応じて「価値を見極める力」があれば、それを楽しめるというわけなのです。

ちなみに、ちきりんさんは、「マーケット感覚をもってこれから外国語を学ぶならば、英語ではなく、2億5千万人の人口とその88%をイスラム教徒にもつインドネシア語を学ぶ」と述べています。
18年前にインドネシア大学に留学していた僕からすると「価値を再定義するときが来たぞ!」とチャンスを感じてしまいました。
今日はこのへんで(^^

サラリーマンが自由を手にする方法

会社がイヤになることって、誰でもありますよね。
たぶん、僕は人一倍、会社がイヤになった経験のある人間だと思います。

最近も会社がイヤになって、人から薦められ、声も掛けてもらって、もう辞めようなんて考えました。
自分がやりたいと思っていることと、会社から求められていることのギャップがある程度大きくなると、考えてしまいますよね。

でも、今はもちろん思いとどまっています。
それは、やっぱり会社というものが楽しいからなんでしょう。

以前もブログでこんなエントリー書いたりしています。
「会社というすばらしい仕組み」

世の中ではフリーランスやノマドがもてはやされる中、僕は、会社組織で働くことの意義について、もっと見直されるべきじゃないかなと思っています。

最近読んだ「ぼくは、世界一楽しいサラリーマン/石渡晃一著」という本にも、とても共感しました。
本書には「サラリーマンほど自由な職業はない」とあります。

サラリーマンには給料という、生きるための保証があります。
喫茶店で雑談していても、資料を探すといって本を読んでいても、その時間にも給料は支払われています。
別にお金のためだけに働いているわけではないけど、お金のことを考えなくても仕事に没頭できるという環境は、やはりすばらしいですよね。

freedom

僕は微力ながら、自分の力を少しでも、世の中がより良くなることに役立てたいと思っています。
もちろん、それを実現するために、独りでがんばっていくというやり方もあるでしょう。
でも、それだけではなく、他のやり方だってあるわけです。
つまりそれは、「会社をうまく使う」ということ。

この本には「会社は武器だ」とありました。
会社の看板だって、上司だって、同僚だって、全部自分が世の中を動かすための武器だと考えればいいわけですから。
会社で「何ができるか」ではなく、自分が「何をやりたいか」が先にあって、そのために会社をどう使うかを考えようというわけです。

僕からすると武器だと思っている同僚たちも、彼らからみれば逆に僕が武器になっていることもあるでしょう。
要するに、志を持って集まった人たちが、大きな仕事を力を合わせて作っているわけです。
そこでは、自分ひとりでは絶対に出来ないようなことをみんなで実現しているのです。

あちこちからバラバラに集まった仲間たちが、知恵を結集して、世の中を変えていく。
こう考えると、やっぱり会社ってすばらしい仕組みだというしかありません。

今の僕の取り組んでいるいくつかのプロジェクトチームだって、みんながいつも情熱をぶつけ合って、たまには言い争い、それでもプレゼンの場や実施現場では、全員がキラキラ輝いています。
すばらしいですよ、やっぱり会社ってすばらしい仕組みなんですよ。

仕事は楽しむためにあると思うんです。
この本にもありました。
「仕事を楽しめない人は、たぶん人生も楽しめない」

自分の意識さえ変えれば、主導権はいつだって自分にあります。
どんな仕事でも、自分が主体的に関わって、クリエイティビティを発揮できるのなら、こんな楽しいことはないはずです。

会社を武器として活用させてもらう。
その代わりに、自分が会社に何を提供できるかを考える。
自分と会社は対等の契約関係だ。

そんなふうに自分が主体となって仕事の主導権を握れれば、それはサラリーマンでありながらも「自由である」と言えると思うのです。

ただしその自由は、最低限やるべきことを120%で打ち返したその先にあるということを忘れないようにしましょう。
僕は、ついついそこを忘れそうになってしまうので。

ということで、当面、引き続き、会社での自由を追求していきたいと思っています。
今日はこのへんで(^^

※ちょっと会社がイヤになったときに。

3分でわかる「ピケティ」

「21世紀の資本」で話題のトマ・ピケティ氏が来日中ですね。
ベストセラーとなった本書は700ページを超えるボリューム。
僕の蔵書ではホイチョイのマンガ「気まぐれコンセプトクロニコル」に並ぶ分厚さです。

池田信夫氏の「日本人のためのピケティ入門」に助けられてなんとか読めた本ですが、ここで無謀にも3分で読めるようにまとめてみようと思います。

Thomas Piketty

本書の主張は、要約するとシンプルです。
20世紀後半以降「資本主義では所得分配の格差が拡大する」傾向があって、それは今後も続くというもの。
つまり、資本主義は不平等を押し進めるという主張です。

それがひとつの不等式で証明されています。
「r > g」
rは株式や不動産などの資本収益率、gは国民所得の成長率です。
労働者がどれだけがんばって収益をあげても、資本家の収益はそれを上回るというのです。
小作人ががんばるほどに、地主はより儲かる仕組みになっているというわけです。

これはなんとなく感じていたことだと思いますが、それがなぜ画期的な主張として迎えられたのでしょう?
これまで資本主義は「富を多くの人に行き渡らせ、所得の分配を進め平等化させる」とされてきました。
しかしこれは、20世紀半ばの例外時代に基づいた理論であり、ピケティ氏は、その理論を10年以上かけた独自のデータ調査でくつがえしたというわけです。

さらに近年、資本主義が格差を一層拡大させることになっている要因がいくつかあります。
たとえば、「教育とテクノロジー」。
高いスキルを持つ労働者は教育に依存している上、近年はどんどんテクノロジーへの置き換えが進んでいます。

それによって、米国などでは「スーパーマネージャー」といわれる、巨額のサラリーを得る大企業の経営者が誕生しました。
彼らは資本家でなくサラリーマンですが、そのサラリーを他に投資することによって資本収益を得ています。
そんなふうに生まれた格差が、「遺産相続」によって累積されてきている。
金持ちの子はいい教育を受けられてさらに金持ちになるという、始めから下駄を履いているわけです。

これら資本主義による格差是正に向けたピケティの提言もいたってシンプルです。
それは、グローバルでの「累進資本課税」。
たとえ一律1%でも、国際社会が協調して統一の資本課税を徴収するということです。
でも、現実的には国際協調での統一課税導入というのは難しいことでしょう。

では、日本ではどのように考えられるでしょう?
日本は、資本収益をあまり株主に還元せずに、企業の内部留保に回すことが美徳であるという文化があります。
この結果、企業の蓄えが超過状態でありながら、資本収益が再投資に回らないので、格差も拡大しない代わりに成長もしないとのことなのです。

最後に僕の意見を加えましょう。
僕は投資銀行で働いていたこともあり、基本的には資本主義、つまり市場とグローバリゼーションの機能を信じています。
これがあるから、民主主義が成り立ち、成長を追求するモチベーションが継続するのだと考えています。(もちろん、ピケティ氏も反資本主義ではなく、それを肯定しつつ、富の透明性を訴えているわけですが)

ただ、僕の書いた「つなげる広告」では、資本主義だけが人の幸せでないことを主張しています。
たとえば、大規模交通事故は多くの人を不幸に陥れる惨事ですが、救助作業や道路清掃などの需要でGDPは加算されます。
人の幸せはGDPでは測れません。
資本主義による格差拡大はピケティ氏によって証明されたのでしょうが、それと人の幸福度はイコールでないということです。

今、ハピネスの概念は、物質的な豊かさだけではなく、文化や精神、公正さ、環境維持などの価値観へ転換しているところです。
格差是正の政策はもちろん進めていただきたいですが、僕自身はお金の格差よりもっと大事な価値観が見つかれば、それで満足だと考えています。

と、こんな感じですが、3分で読むにはちょっと長くなってしまいましたかね?
今日はこのへんで(^^

※本書は漬け物石代わりにもなります。

※あなたが学者ででもなければ、こちらの方がお薦めです。

フルーツ食でコンディションアップ!

僕の周囲では風邪やインフルエンザが流行っていますが、みなさんは大丈夫ですか?
いや病気だけでなく、飲み過ぎだとか、なんか眠いとか、体調悪いとか。。。

これは自戒を込めてですが、いくらスキルを磨いてもコンディションが悪ければ、集中力があがらず仕事ははかどりませんよね。
スポーツ選手などでは当たり前の話なのでしょうが、ビジネスの世界でもムラをつくらず安定したパフォーマンスを出していくことはすごく大事だと思うわけです。
そんなことを思っていた昨年末に、「一流の人はなぜそこまで、コンディションにこだわるのか?/上野啓樹・俣野成畝著」を読んでかなりのヒントを得ました。

よく言われるように、コンディションをアップするには食習慣の改善が必要です。
ただ本書では、それが「消化」という点から説明されているのがユニークです。

実は人間のカラダにとって、一番エネルギーを必要とするのは「消化」です。
一日の消化に要する体力は、ハーフマラソンを2時間以内で走るのと同等とのこと。
食べ物から摂取したエネルギーが、ほとんど「消化」に使われるのですから、こんな非効率なことないですよね。
言い換えると、腹持ちのいい食べ物=消化の悪い食べ物というのは、エネルギーを無駄に使い、コンディションを低下させるというわけです。

これが一番の気づきでした。
つまり、集中して仕事でハイパフォーマンスを出せるのは、お腹が満たされているときではなく、「空腹時」なのです。
「腹が減っては戦はできぬ」という言葉、あれウソだったんですね。
確かに、野生動物を考えれば分かります。
ライオンやチーターが狩りををするときも、空腹時で神経が研ぎすまされたときです。
僕たちも空腹時こそ、キレキレで仕事ができるというわけです。

野生動物には肥満や痩せすぎという個体はありません。
みんな無駄のない美しい体型をしています。
それは自分が何をどれくらい食べたらいいかを分かっているからです。

その動物が何を食べているかは、歯を見ればわかります。
シマウマやキリンなどの草食動物は草をすりつぶし易い平たい歯を持っていて、ライオンなど肉食動物は肉や骨をを砕くのに適した尖った歯を持っています。
もちろんその歯にあわせて、それぞれ野菜や肉を消化しやすいカラダの機能になっているわけです。

人間の歯は全部で32本です。
そのうち20本が臼歯、8本が門歯、あわせて全体の9割で、これらは穀物と野菜やフルーツを食べるためにあります
残りの4本が犬歯、これは全体の1割で、魚や肉を食べるためにあります。
なので、人間はそもそも、魚や肉を1割以上消化できないカラダになっているのです。

で、本書の提案は、中でもフルーツを主体とした食習慣にしようというものです。
なぜならフルーツには「消化酵素」という食べ物を消化分解し吸収する働きをする酵素を大量に含むという特徴があるからです。
つまりフルーツならば、胃の中にいながら胃を動かすことなく、勝手に40分ぐらいで自ら消化してくれるのです。
これなら消化にエネルギーを取られることがありません。
フルーツでお腹いっぱいになっても、キレキレで仕事に集中できるわけです。

フルーツ食

本書はかなり極端なのですが、毎日の食事をノーマルデーとフルーツデーで組み立てるように薦めています。

●ノーマルデー
 朝食:フルーツ
 昼食:サラダ+ランチ
 夕食:サラダ+ディナー

●フルーツデー
 朝食:フルーツ
 昼食:フルーツ
 夕食:フルーツ

これを習慣にしていくには、まずはこれまでカラダに蓄積された毒を排出する必要があります。
そのためデトックスプログラムとして、フルーツデーを3日継続し、ノーマルデーを3日継続するというのを交互に1ヶ月おこなうことからスタートするように薦められています。
で、1ヶ月後からは週1回のフルーツデーで、あと6日はノーマルデーであればいいとのこと。

僕の場合は、さすがに1日3食のフルーツを3日はしていないのですが、昨年12月の半ばにフルーツデーを1日設けて、それ以来は毎日ノーマルデー、つまり朝食はフルーツのみというのを続けています。
それでも、かなり快調。
昼間に眠くなったり、週の半ばで疲れてきたり、お酒が翌日に残ったりというのがなくなりました。
そのうえ、昼は食べないこともあります。
これまでは、常にお腹が満たされていることを普段の状態にしていましたが、今は空腹であることが普段の状態なのです。

栄養についても、質のいいフルーツさえ食べていれば心配もないとのこと。
カロリーというものだって、ただの「熱量の単位」なので、健康にもダイエットにも関係ないのです。
筋骨隆々のゴリラだって、食べ物の9割はフルーツなんですよね。

いや本当に、これまで当たり前だと思っていた常識を疑ってみることは大切です。
本書には、牛乳やヨーグルトが腸によくないこと、コーヒーがいかにカラダを乾燥させるか、栄養ドリンクがよけいにカラダを疲れさせること、野菜ジュースの危険性など、これまでの思い込みを見直すきっかけが満載です。

ちょうど最近、仕事の量がハンパなくなってきて、物理的な時間が入りきらなくなってきたので、質をあげることで解決しなきゃと思っていたところです。
このコンディションアップ策は、そんな僕の現状を救ってくれるひとつの手だと思って、当面続けてみようと思います。

これからの経過は、またこのブログで報告していきますね。
ということで、今日はこのへんで(^^

大人に向かうキミへ「自分だけの山を見つけてほしい」

今日、成人を迎えるみなさん、おめでとうございます。
僕は週1回大学で講義をしていますが、その受講生の多くは大学2年生なので、無事成人式を終えたことでしょう。

じゃあ、みんな今日から一人前の大人ということでいいですか?
いやいや、そんな1日で急に大人になれるわけないですよね。
逆に、これからの人生について、漠然とした不安や焦りや葛藤を感じていることでしょう。

なぜ不安か?
それはこれから生きていく上で、人生の目標となるものが見つかっていないからでしょう。
でも大丈夫です。
人生の目標なんて、そんな簡単に見つかるものじゃないですから。

これは慶応大学院准教授のジョンキム氏の本に述べられている言葉です。
人生の目標を見つける上で大事なのは、常に「自分の価値とは何か?自分が社会に貢献できる価値とは何か?」を意識しながら登るべき「自分だけの山」を見つけること。

ゆずの歌にも「てっぺん」という曲がありますが、あれですね。
「どっかの山のてっぺんで、どっかの誰かが笑ってる。僕はそれを見ながら、違う山のてっぺんを目指してる」

自分だけの山を見つけ、登って行くことで、「誰とも取り替えのきかない人間」になっていくことでしょう。
いや何も、スティーブ・ジョブズとか孫正義とか、そんな大きな山を指しているわけではありません。
どんな小さな山でも自分で見つけることが大事なわけです。
逆に言うと、人の見つけた、あるいは人が創った山に登る人生はつまらないということです。

人生の山

「山」とはつまり、「自分の価値観、自分の基準」ということです。
ただ、注意が必要です。
この「自分の基準」は、よく「世の中の基準」とぶつかるのです。
そのとき、自分の基準を世の中の基準より優先できるか?
そこには「勇気」が必要になってきます。
自分だけの山を登るというのは、勇気がいることなのです。

さて、自分で見つけ、自分で選んだ山。
この選択は正しかったのでしょうか?
多くの人は、自分の選択に自信が持てず、不安を抱えることになるでしょう。
これもジョンキム氏の本にヒントとなる言葉がありました。
実は「人生の選択における『正解』は、選択した瞬間には存在しない」というのです。

つまり、自分で選択した山を「正解」にするのは自分自身だということです。
選択した山を「正解」にしていく過程こそが、人生の醍醐味だというわけです。

僕は、山の選択し直しが人生に何度もあっていいと思っています。
専門職の転向、会社を辞めての転職、海外への脱出、離婚や再婚などなど。
僕自身も何度も山を再選択しています。
前回のエントリーにも書きましたが、今は世の中の変化が早くて、5年後すらどうなっているか分かりません。
そんな中で、生涯に渡る理想の人生など見通せるわけがありません。

理想の人生とは結果論です。
常に自分だけの山を見つけることを意識し続け、その選択を正解にしていくプロセスそのものに意味があります。
その結果が、自分にとって理想的な生き方、理想の人生になっていくんだと思います。

実は僕の娘も今日が成人式。
大人に向かうキミへ。勇気を持って、自分の山を見つける旅に踏み出して欲しいと思います。

って、絶対このブログ見てないと思いますが。。。
今日はこのへんで(^^

※ジョンキム先生の書籍には独自の人生哲学が詰まっています。

冬のグアムで「ひまわり生活」トライアル!

みなさん、明けましておめでとうございます。
僕は、12月末にグアムに行ってきました。
ここ数年、冬のほんの数日間ですが、グアムで過ごすことを続けています。

大橋巨泉さんが「セミリタイヤ」をして実践されている「ひまわり生活」というスタイルがあります。
これは、1年間を温暖な場所を移動しながら生活するというもの。
常に太陽の方を向いて動くことから「ひまわり」というわけです。
たとえば、巨泉さんの場合、「巨泉流」という本によると以下のように1年を過ごされているとのこと。

・11月中旬から4月中旬はオーストラリアのゴールドコースト(うち数ヶ月はニュージーランドのオークランド)。
・4月中旬から5月末までは千葉県東金市の自宅。
・6月から9月中旬まではカナダのバンクーバー。
・9月中旬から11月中旬まで再び千葉の自宅で過ごした後、オーストラリアへ。

ゴールドコーストの夏(日本の冬)はどんなに暑くても30度前後までしか気温は上がりませんし、バンクーバーの夏は(行ったことないのでですが)、花が一斉に咲き、ベリーが実をつけ、小鳥や小動物が見られ、汗もかかずに過ごせるこの世の天国らしいです。
寒いのが苦手な僕は、この「ひまわり生活」に憧れていて、いずれリタイアした後にはこういったスタイルを目指したいと思っていました。

しかしこの「リタイア」というのが難しいですよね。
つまり自分が何歳まで働くのかということですが、ちょっと前まで会社員であれば「定年まで」ということが一般的だったでしょう。
それはもちろん、定年後の年金生活をあてにできたからです。
巨泉さんのような「ひまわり生活」は、とても庶民には手の届かない夢のような生活に見えますが、実は今すでに年金受給をしている人なら厚生年金と企業年金あわせて月に30-40万円もらえたりしているので、贅沢さえしなければ不可能ではありません。

でも今は状況が大きく変わりつつあります。
政府が年金の支給開始年齢を引き上げるために雇用の延長を推進しています。
僕の年齢だとすでに厚生年金は65歳からの支給が確定しています。
しかもこれはもっと引き上げられることが濃厚で、70歳超えてからの年金受給の可能性があり、そのために70歳を超えても働く必要性が出てくるわけです。

いやいや、70歳を超えて今と同じ仕事のスタイルを継続している自分は想像できません。
というか、こうなると社会全体が働き方についてリデザインしないといけないのかもしれません。
みんな22歳で新卒入社して、70歳までの50年間、1週間の夏休みと冬休みだけでずっと同じ仕事を続けるのでしょうか・・・。
いや、考えられない、これからは働くという概念自体が変わっていくように思います。
途中で専門職を変えたり、40代で充電期間のため数年間休養するとか、別の専門学校に行くとか、いろんな働き方の選択肢が出てくるんだろうなと思うのです。

というわけで、僕も「ひまわり生活」を実現するために、いつになるか分からない「定年」を待ってられません。
定年はあてにせず、ずっと自分の好きな仕事を選びながら働き続けることを前提に「ひまわり生活」を実現できないか模索していこうと思ったわけです。

なので、ここ毎冬行っているグアムは旅行ではなく、そこで生活できないかと実験している状況です。
現地では観光することもなく(そもそもグアムに観光地はあまりありませんが)、毎日同じことを繰り返しています。

・毎回タモンの同じホテルのほぼ同じ部屋に宿泊します。
・朝5:30に起きてジョギングします。
・朝食(フルーツ)を食べて海に行きます。
・ビーチの近くでランチ(ハンバーガー)を食べて、昼には部屋に戻ります。
・午後は夕方まで、部屋やラウンジで仕事します。
・夕方、サンセットを見てそのまま夕食(和食)に行きます。
・夜は部屋で本を読んで、22:00には寝ます。

guam beach

そろそろ自炊したいのですが、今のホテルにはキッチンがついていないので、宿を変えなきゃなと思っています。
というか、グアムは輸送コストからか水や食材が高価で生活コストが高すぎるので、場所自体を考え直さないといけないかもしれません。
ちなみに、夏については、昨年から軽井沢で実験しています。

こういった「ひまわり生活」で仕事をするのがいいかどうかは人それぞれの価値観だと思います。
そんな面倒なことせずに、都心に居続ける方が性にあっている人もいるでしょう。
ただいずれにしても、人生の大部分を占めることになる仕事において、会社員であってもそのスタイルを、国や会社に頼らずに自分で組み立てなければならない時代になってきていることは確かでしょう。
ならば、どんな仕事のスタイルでも「自分で選択」することが、幸せかどうかの大事なキーポイントになるんだと思います。

理想の人生といっても、今は世の中の変化が早くて5年後すらどうなっているか分かりません。
そんな時代、もはや理想的な生き方とは、結果論でしかないと思います。
「自分のやりたいことを自分で選択する」ということをコツコツと積み重ねていった結果、それが自分にとって理想的な生き方になっていくということなんでしょう。

本年もよろしくお願いします。
今日はこのへんで(^^

※こちら「ひまわり生活」実践編

※こちら「セミリタイア」のパイオニア本

思考と感情を全て書き出してスッキリしよう!

前回のエントリー「自分の人生を取り戻すため、紙の手帳に戻す!」に多くの反響をいただきました。
今回は、その延長として「書き出すこと」について考えてみましょう。

前回、紙の手帳とメモをセットで携帯することで、思いついたことをすぐに書き留めることができるということを述べました。
ふと頭に浮かんだことを手帳やメモに書き出すことには、実は想像を超える効用があります。
これについては「書き出す」ということができれば、手書きでなくても、エバーノートなどにタイピングしたり、ダイレクトにツイッターやフェイスブックで発信してもいいと思います。

大事なことは、頭の中のモヤモヤした思いを「言語化」して「吐き出す」という作業です。
これは、潮凪洋介さんの新刊「人生は書くだけで動き出す」に、「吐き出しライティング」という言葉で紹介されていました。
作業時間にしてほんの数分ですが、自分の考えたこと、感じたことを1行だけでも文字にしてみるのです。

書き出しイメージ

たったこれだけの作業ですが、自分の思いを吐き出すと頭がスッキリします。
自分の思考と感情が言語化できると、快感を得ることすらできるのです。

「若者がキレやすくなった」というようなことが言われたりしますが、その原因のひとつには、若者のボキャブラリーが減っていることもあると思います。
ボキャブラリーが減るということは、自分の思考や感情を表現する選択肢が減るということです。
「マジ」とか「ウザ」とか「ヤバ」とか「キモ」とか、そんな言葉ばかりで、自分の思いを表現しなければならなくなっているわけです。

でも、人間の思考や感情は、もっと複雑なはずです。
自分が本当に思っている複雑な気持ちをうまく表現できないと、ストレスが蓄積し、最後にはキレてしまうというわけです。
モヤモヤした思いをきちんと整理して言語化するという「吐き出しライティング」には、こういったストレスを溜めないという効用があるのです。

これを実践して、自分の思いを言語化して書き出すと、あらためて自分が何を考えていたのかに気づかされることになります。
「自分は、こんなことを考えていたのか」
「自分は、こんなふうになりたかったのか」

なりたいこと、つまり「自分の願望」が言葉になると、今度はそれをどうやって達成していくのかに思考が及びます。
願望を達成するために何をしなければならないか、つまり「やるべきこと」がハッキリしてくるわけです。
ならば、これもどんどん書き出していきましょう。

そして「やるべきこと」が言語化できると、それを「実現するためのアイデア」も浮かんでくるはずです。
ならば、そのアイデアもどんどん書き出していきましょう。

どうですか?
自分の目標が言葉になり、その実現のために何から始めればいいかが見えてきませんか?
それが見えれば、頭のモヤモヤは、断然スッキリするでしょう。

こうやって毎日、思考や感情を書き出し続けることで、自分の行動や生き方まで変えていけるはずです。
大げさに言えば、自分の未来を自分で創っていけるわけです。

では、頭と気持ちがスッキリしたところで、今日はぐっすり眠って、明日からなりたい自分に向かって実践してみましょう。
今日はこのへんで(^^

自分の人生を取り戻すため、紙の手帳に戻す!

書店や文具店に行くと、ずらっと来年の手帳が並んでいる時期になりましたね。
ご存知の方もいると思いますが、僕はかなりの「手帳オタク」です。
若い頃にもったいない時間の使い方をしたという自責の念からか、時間管理に異様なこだわりがあるんですよね。

そんな僕ですが、今回、大きな決断をしました。
ここ1年以上、Googleカレンダーと同期アプリのデジタルスケジューリングを活用してきましたが、来年は紙の手帳に戻します!

●手帳で人生が変わる
僕は、「超手帳法」の著者である野口悠紀雄さんの影響もあって、手帳で人生が変わると考えています。
人生を有意義に生きたいというのは、誰しもが思っていることです。
なので、有意義な人生の中身、つまり「生き甲斐」について語られることは多いですよね。

でも有意義な人生を実践していくというのは生き甲斐の問題ではなく、自分の意志で時間を生み出してどう使うかという「時間の使い方のテクニック」の問題です。
そのテクニックをサポートしてくれるのが「手帳」だというわけです。

手帳は、誰かに指示された予定を記入しておくための「備忘録」ではありません。
自らが主体となって目標を設定し、そこに向かって自分のペースをコントロールしていく「スケジューリング」のツールなんですね。

●本当の手帳に必要な5つの機能
前述の野口悠紀雄さんの著書にもある、本来の手帳に求められる機能をまとめるとこの5つになるでしょう。

①能動的なタイムマネジメント。
人から「その時間、空いてる?」という受身で時間を奪われるのではなく、自ら時間を主体的にコントロールする機能。

②時間を「見える化」する。
埋まっている時間と空いている時間が一目でわかる機能。

③自分にとって重要な仕事のために、能動的にクリエイティブな時間を確保する機能。
上記の「空き時間」というのは暇というわけはありません。
むしろその逆で、その時間こそ自分にとって重要な仕事ができるわけです。
なので、やらされ仕事をしている人の手帳が真っ黒に埋まっているのに比べ、重要な仕事をしている人の手帳は空き時間が多く、手帳が白いのです。

④To-Doリストを作ることで、脳の記憶使用による負担を軽減する機能。
自分の脳にもキャパがあります。
その脳を案件のメモリーに使ってしまっていてはもったいないというわけです。
単なる記憶は手帳に任せて、脳の機能を出来るだけクリエイティブな作業に回します。

⑤脳が苦手な「短期記憶=思いつきアイデア」を逃がさずにメモする機能。
アイデアの降臨はコントロールできません。
それを記憶できず、「ああ、いいこと思いついたのになんだっけかなあ」というような経験は誰しもがあるでしょう。
これも、常に手元に手帳を持っていることで、すかさず記録することができるわけです。

●「超整理手帳」から「Googleカレンダー」へ
僕は何年もの試行錯誤の結果、2010年には野口悠紀雄さん考案の「超整理手帳」にバーチカルタイプ(曜日縦割りタイプ)が登場し、これに落ち着きました。
この手帳の特長は、8週間の長期スケジュール全体が俯瞰できるよう、ジャバラ式になっていることです。

超整理手帳1

この手帳を使い始めてから、自分の仕事を能動的に組み立てることができ、本も出版し、活動の領域を広げていくことができました。
しかし、スマホと手帳の両方を携帯することにストレスを感じていた僕は、ちょっとでも荷物を減らしたいという理由で、昨年の途中からGoogleカレンダーと同期アプリにスケジューリングを移行したのです。

紙にないデジタルの利便性はたくさんありました。
たとえば、
・スマホ、オフィスのPC、ノートPCなど、どこからでもアクセスできること。
・入力変更や削除など、編集が容易なこと。
・毎週の定例事などを一括で入力できるなど、コピーが容易なこと。
そして何よりも、当初の目的である「手帳を持ち歩かなくてよいこと」が大きいわけです。

しかし、デジタルスケジューリングにしてから、どうも自分で能動的に時間をコントロールできていない感じなのです。
上記の利便性が故に、人からの予定変更依頼にも対応しやすくなって、コロコロと予定を変更するようになったからでしょうか。
それに、やはりスマホの画面での時間管理は一覧性には厳しく、どうしても近視眼的な活動になってしまうようです。
やはり長期を一覧できるジャバラを常にデスクに広げておけるという、紙特有の効用というのは大きいと思いました。
ならばということで、来年は紙の手帳に戻そうと考えたわけです。

●「超整理手帳2015」の購入へ、しかし
僕は、もう一度自分の人生を取り戻そうと「超整理手帳」の2015年用を購入することにしました。
もちろん、こだわりは、バーチカルタイプであることです。
ところが、どの書店にもノーマルタイプは置いてあるのですが、バーチカルタイプはありません。
アマゾンにすら置いてないのです。

不思議に思っていろいろ調べてみると、2015年からバーチカルタイプのオリジナル版は廃止になって他社デザインによるコラボ商品のみとなり、しかもノグラボ(野口悠紀雄さんのECサイト)のみでの販売になるとのことでした。
ま、仕方ないので、早速それを購入しました。
が、しかし。
到着したものは、色は変なブルーで、紙の質も粗悪になっていて、かなーり残念なものになっていました。
バーチカルタイプは、一番需要があると思っていたのですが、どうしてこうなっちゃったんでしょうねえ。

超整理手帳2

まあとにかく、紙の質より人生の質の方が大事なので、今月半ばからはこれを使おうと思います。
うまく活用できれば、また能動的に時間を生み出せるようになるでしょうし、それをクリエイティブな仕事にあてて有意義に再投資していけると思います。
年々、人生の残り時間が少なくなると感じる今日この頃、時間の有効活用への執念がどんどん深くなっているんですよね(汗。

ちなみに、受動的な仕事に追われ時間を奪われた結果、気が付いたら定年になってしまったという状況は、「竜宮城シンドローム」と呼ばれています。
恐ろしいですよねえ(笑。

今日は、このへんで(^^

※この本、今回もう一度読み直しましたが、やはり深いです。

競争しないで、次に行こう!

先日、「共創マーケティング」についての講演をさせていただきました。
「共創」といっても、いろんなレベルで語られてきましたが、今回はわりと新しい領域に踏み込んでいます。

そのひとつがこれ。
オープン「amidus」プロジェクト

理想は語られてもまだ実現されていない、真のオープンイノベーション的なものを探りたいなと思ってのチャレンジです。

まあ、それはいいのですが、ここ最近は、他にもいくつか新しい領域の仕事を手探りしている感じです。

僕が新しい仕事の領域に行こうと考える時は、同じ領域で同じことが出来る人、つまり僕にとっての「競合」が増えてきた時です。
その領域で、僕じゃなきゃできない仕事というのが少なくなってきたからです。

もちろん、スポーツのように、「その種目で並みいる競合に打ち勝ってナンバーワンを維持していく」という選択もあるかもしれません。
ただ、僕はそういうタイプじゃなく、代わりになる人が増えてくると、次に目がいってしまいます。

「競争に勝つ」という話でいえば、古典になりつつあるマイケル・ポーターの「競争の戦略」という理論があります。
その後は、「ブルーオーシャン戦略」という理論も一世風靡したりしました。

これらに共通することは、「競争戦略」と言いながら、その本質は「競争しない戦略」だということです。
競合にガチで対抗するのではなくて、競争から逃げながら、勝てるところを探すわけです。

blue-ocean

僕の場合は、「勝てるところを探す」などというたいそうな話ではないですが、とにかく好奇心が優先されるというか、飽きっぽいというか、じっとしてられないというか・・・。
そんな感じだから、どんどん非広告領域に踏み込んでいってしまうのだと思います。

まあ、「何かを成し遂げたい!」というより、「好きなことを探して今を楽しみたい!」の方がしっくりくるタイプなんでしょうね。
それで新しいことが見つかればラッキー、という感じでしょうか(笑。

良いことなのか、良くないことなのか分かりませんが、ちょっと今の気持ちを整理してみました。
今日はこのへんで(^^

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