作成者別アーカイブ: 京井良彦

ちゃんと「自分の考え」を持つ方法

先日、ヴィレッジヴァンガードさんが主催する「雑貨大賞」というアワードの審査員をさせていただきました。
表彰イベントでは、受賞作品について評価のポイントを聞かれて、甚だ恐縮ではありますがいろいろとコメントしたりしてきました。

雑貨大賞

いつからかこんなふうに、何かの出来事についてコメントを求められたり、本の書評を依頼されたりすることが増えました。
ある事に対する「僕自身の考え」を聞かれて、パッと答えなければならない場面が増えてきたということです。
でもこれって、そんなに簡単なことじゃないんです。

例えば、テレビのニュース、新聞の記事、ネットの情報を見せられて、「どう思いますか?」と聞かれたらどうでしょう?
さらっと、気の効いたコメントをできるでしょうか?
なかなか難しいですよね。
ここで思考停止に陥らず、どんな内容であってもコメントするにはどうしたらいいのでしょう。

齋藤孝さんの著書「5日間で『自分の考え』をつくる本」には、こんなふうに述べらていました。
人が何かを見聞きしたとします。
ここですぐに何かを言える人が、「自分の考えがある人」
気の効いたことが言えない人が「自分の考えがない人」
というのです。

つまり、きちんと「自分の考え」を持つことが、こういった場面に対応できるようになることというわけです。
そして、その「自分の考え」をつくるために最適なトレーニングがあるといいます。

それが「レビューを書く」ことです。
本や映画や音楽、旅行やクルマや鉄道、ネット上にあるいろんなサイトにレビューを書くことで自分の考えを明確にしていくわけです。
僕も、レビューを書くことを実践しています。

レビューというのは単なる感想文ではありません。
この映画や曲が「好き」とか「キライ」とか、個人の好みを語っても受け手にとっては価値がありません。
「一生懸命さを感じる」や「心に響く」や「誠実だ」などの抽象的な表現も価値がありません。
「自分の立ち位置」を明らかにして、「どんな視点で語るか」にこそ価値があるわけです。

この本には、「いいレビューは社会貢献だ」とまで述べられています。
音楽でも映画でも、いいレビューやコメントは、それを読んだ人を新しい世界にいざなうことになります。
それは、もう社会貢献に値するというわけです。

「自分の考え」を述べられるようにすることは、自分自身への貢献でもあると思います。
世の中にはいろんな出来事で溢れています。
そういったひとつひとつの出来事に対して、自分の立ち位置、考えを明確にしていく。
それは、それらを何も感じずに素通りさせることよりも、ずっと人生を豊かにすることだと思うわけです。

ということで、今日はこのへんで(^^

プレゼンで一番大事なこと

先月の話ですが、「アドテック東京2014」というデジタルマーケティングの国際カンファレンスで話をさせていただく機会がありました。
「共創マーケティング」という今まさに取り組み中のプロジェクトをテーマにしたこともあって、ちょっとモヤモヤした話になってしまい、もう少し価値のある話ができなかったかなあと、ちょっと後悔しています。

仕事柄、人前でプレゼンする機会が多いこともあって、2年前に「学校でも会社でも教えてくれない企画プレゼン超入門」という本を出版しました。
でも実は、僕はプレゼンが得意な方ではありません(と、自分では思っています)。
だからこそ、他の人のプレゼンをいろいろと学んで本にまとめたというわけです。

そんなこともあり、プレゼン関連の書籍の新刊を目にすると、迷わずに買って読んでしまいます。
勝間和代さんの新刊、「稼ぐ話力〜相手を腹落ちさせるプレゼンテーション術(毎日新聞社)」も読みました。

この本、現在amazonで、4つのレビューが4つとも星1つという恐るべき低評価となっています。
最近の勝間さんの本って、どれもこんな評価になってしまいますが、いつからこんなにアンチが増えたんでしょうか...。

ま、確かにどこかに書いてあった情報を編集したような薄めの内容ですし、何より「稼ぐ」という煽りタイトルが、今の空気感にそぐわないとは思います。
でも、気づきのある言葉もあるし、極めて基本的な話ではありますが、要点も整理されています。
せっかく読んだので、ちょっとメモしておこうと思いました。

冒頭で気づかされたのは、「うまいプレゼンは、うまい日常会話の延長線上にある」ということです。
つまり、「普段の話し方がうまくないのに、プレゼンだけがうまくなることはない」ということ。
プレゼンの上達には、普段のコミュニケーション力の向上が必要だというわけです。

その普段の話も含めて「伝わらない」原因は以下の3つだと述べられています。

1.話しすぎー余計な情報を話しすぎて要点がつかみにくい。
2.そもそも日本語が論理的構造でないー英語のように価値観の違う多民族を対象にした言語でない。
3.相手の存在を忘れているー自分の言いたいことだけ言って、双方向の対話になっていない

これらの課題を以下の基本ステップで解決しようと述べられています。

1.相手に軸を置くー相手が聞きたいこと、聞きたい順番で話す。
2.全体像から話すー最初に「目次」を伝える。
3.情報密度に気をつけるー対話できずとも相手にとって価値ある情報の含有率を高める。

この改善された「内容」と「資料」と「非言語コミュニケーション」を掛け合わせて、どれだけ相手にを腹落ちさせるかというわけです。
本書の最後の方には、この「資料」、つまりプレゼンスライドの作り方、「非言語コミュニケーション」、つまりジェスチャーや身なりについても述べられています。

ま、そりゃそうだろうという感じですが、いいアタマの整理になりました。
でも、伝わるプレゼンのためには、もっと根本的なところで大事なことがあります。

それは、「プレゼンターが、誰よりもプレゼンの内容を理解していること」だと思います。

これは本書でもさらりと触れられていますが、僕はこれが、最も重要なことだと思うのです。
ネットで集めてきただけの情報や、借り物のフレームワークではなく、自分が経験し自分のアタマと言葉で組み立てた内容であることが説得力を生み、人の気持ちを惹き付けるということです。

僕の周りでも、魅力的なプレゼンをする人がたくさんいます。
彼らに共通する点は、「その本人にしか話せない内容である」ことです。
なぜ本人にしか話せないか。
その本人が、自分の経験を元に自分のアタマで考えたことだからです。
それは、誰よりも本人が内容を理解しているということです。

本当に聞きたい話であれば、下手な話し方でも本人に話を聞くしかない。
話力といったテクニカルなものは二の次になります。
これこそが、プレゼンで一番大事なことだと思うわけです。

これが大前提の上で、話力の向上に努められれば、それに越したことはありません。
はい、今日は、このへんで(^^

※勝間和代さんの著書、ボロカスの低評価ですが一応紹介させていただきます。

※こちらは拙著

刑事コロンボのインサイト力

先日、仕事チームの後輩に「いや、例えて言うなら刑事コロンボみたいなもんだよ」と説明すると、「どういう意味ですか?」と返されました。
なんと、刑事コロンボを知らないらしいのです。

僕は夏になると、推理モノやハードボイルド系の小説を読んだりや映画を観たくなるクセがあります。
今年の夏は、刑事コロンボのDVDを1話から観直して、ハマりまくっていたですが、これはやはり素晴らしいドラマです。

いくら世代じゃないと言っても、これを知らないのはもったいない。
とはいえ、1968年から1978年まで放映されたテレビドラマということなのでしょうがないかもですね。

このドラマは、医者や作家、映画俳優や建築家といった知的で社会的地位も高い犯人が、完全犯罪を狙うも、ボサボサ頭にヨレヨレのレインコートをまとった小柄で一見愚鈍なコロンボにアリバイを突き崩され、自ら破滅の道に転落していくという展開で進みます。

columbo

ふつうの推理モノは、状況証拠や目撃者の証言などで真相解明をしていきますが、コロンボは違います。
完全犯罪を目論む犯人(容疑者)に、捜査状況や自分の推理をいちいち話し、そのときの感情の揺らぎやちょっとした発言から差異をあぶり出し本人に突きつけるという、理詰めで追い込んで犯行を認めされる手法をとります。

犯人とコロンボとの緊迫感あふれる会話の駆引き、そして静かに確実に追い詰められていく犯人の葛藤や焦りといった感情描写が醍醐味なのです。
考えてみると、僕の今の仕事のベースになっている「人間観察好き」の原点は、幼少期にハマっていたこの「刑事コロンボ」にあるのかもなあとも思います。

学ぶべきは、コロンボの洞察力、つまりインサイトの力です。
例えば、このドラマでは、よく犯人が、被害者を自殺に見せかけて殺害するという設定があります。

現場では、みんなが死因を特定するための鑑識などを進めていますが、コロンボだけは被害者のベッドサイドに置いてある読みかけの本など、全然ちがうところを観ています。
そして「今から死のうという人間がこんなお気楽な本を読むかねえ」とかいって、他殺の疑いをかけていくわけです。

こういう人間の心の奥を読むインサイトの力は、マーケティングや広告の領域でもすごく重要なものです。
というのも、マーケティングや広告の施策は、「人はこんなふうに行動する」という仮説を前提に組まれるからです。
しかし、これがかなり読みの浅い、形骸化した仮説を元にしているケースが多いのが現実。

テレビでCMを見て、そこに検索窓カチッという表記があるのでネットで検索し、訪問したウェブサイトにはキャンペーンの告知があるのでクーポンをダウンロードし、そのクチコミを広げ・・・。
いやいや、ナイナイ。
そんな都合よく、人は動きません。

人を取り巻く情報環境はもっと多様だし、人間のモチベーションはもっと複雑です。
その点でも、コロンボに登場する犯人は、社会的地位の高いお金には困っていない人たちなので、今の一般的な人々に近い感覚があるんですよね。

第一話では、コロンボが頭脳犯の犯人(容疑者)に対してこんなことを語るシーンがあります。

「殺人犯といっても、多くの場合は、殺人は初めてなんです。
 つまり、素人だ。
 しかし、こっちは年がら年中、殺人を取扱っている。
 つまり、プロだ。
 負けるわけないんですよ」

このひと言で、コロンボをバカにしていた犯人の表情がガラッと変わるのです。

僕を含め、マーケティングや広告に関わる人たちもこうでなくちゃなりませんよね。
今日は、このへんで(^^

「自分の考え」なんて変わって当然

最近、あんまり経験したことのない、新しいタイプの仕事をたくさん抱えています。
というか、あえてそういう仕事ばかり選んでいるどうしようもないマゾということなのですが。

そういった新しい仕事へのチャレンジでは、要所要所での判断や決断が本当に難しいなあと、心底感じています。
なかなか、自分の決断に自信を持つことができません。

経験がないので、当たり前と言えば当たり前ですが、一度決断したことでも、翌日になってから「うーん、やっぱり違ったかな」といって意見を180度変えてしまったりします。

以前は、自分が判断や決断したことを、こんなふうにコロッと変えることに抵抗を持っていました。
「男に二言なし」まではいきませんが、一度決断したことを変える、いわゆる朝令暮改というのが格好悪いと思っていたのです。

でも最近は、そんな自分の考え方自体を変えました。
作家のジョンキムさんの本にあった、こんな言葉に共感したこともあります。

「今日の自分は昨日より成長している。考えは変わって当然である」

そうですよね。
僕だって、昨日より今日の方が成長しているはず(と思いたい)。
明日はもっと成長していたいです。

成長するに従って価値観は変わるのは、当たり前。
ならば、「自分の成長」という軸にさえ一貫性があれば、昨日の決断にこだわるなんて意味がないということなんですよね。

自分の考え

そして自分の成長を信じるなら、常に「他にも正解がないかどうか」という視点を持ち続けたいところです。
そもそも目指していたゴールでさえ、違うと感じたら変えるべきだと思います。

逆に言えば、考え方が変わるというのは、自分が成長している証拠なわけです。
昨日の自分の決断に変に縛られることなく、成長するにしたがって、どんどん新しい決断をしていく。
そんなふうに、しなやかに生きていきたいなあ、と思うのでした。

いや、言い訳ではありませんよ。
今日は、このへんでー(^^

自分に自信がないとモノが増える

7月も終盤になって、本格的に夏が来ました。暑いですねえ。
僕のいる社では大規模な組織変更があって、それに伴うデスクの引っ越しがありました。

自分では普段からデスク周りの整理をしているつもりなのですが、いざ引っ越しになると、大量にモノを溜め込んでいること気づいて愕然とします。
ひき出しからキャビネからクローゼットまで、書類やら文具やらなんやらギュウギュウに詰め込んでいて、まるでハムスターのようです。

そんな僕がいうのもなんですが、実はモノが増えるのには理由があります。
それは「自分に自信がないから」です。

これは、仕事でもプライベートでもそうです。
過去の書類、資料、洋服から本やCD、DVDまで。
「もし何かあったらどうしよう。そんな時に備えて、あれも捨てられない、これも捨てられない・・・」
モノをたくさん溜め込んでしまうのは、人間の自信のなさの表れなのです。

周りを見渡してみると分かりますが、仕事のできる人たちは、みんなモノが少なくてデスクやクローゼットも本当にキレイです。
有名人でいうと、大前研一さんや佐藤可士和さんの仕事場などは、美しいほどに整理されていますよね。
自分に自信があると本当にモノは少なくて済むわけです。

で、僕も自信のなさをモノでカバーするのをやめようと奮起して、今回の引っ越しで大量にモノを捨てました。
過去の書類や資料、完了した仕事の成果物、たくさんの文具、名刺や挨拶状、参考本からDVDやCD、などなど。
どうしても必要な紙資料は、面倒だったのですが、すべてPDFに電子化してDropboxにアップしました。
すると、僕のデスクは、デスクトップのPCを残してスッカラカンになりました。

で、僕、社のデスクに行く理由がなくなってしまったのですね。

clean desk

僕の仕事は、プロジェクトごとに組織横断のチームでやっているので、チームそれぞれのデスクが近いわけではありません。
もともとデスクに固定電話を置いてないので、連絡はメールかフェイスブックかLINEです。

なので、iPhoneとノートPCと社のIDカードとサイフとカギと歯ブラシくらいをバッグにいれて、仕事現場から仕事現場に渡り歩いているのですが、書類関係をすべてDropboxにあげたら、いよいよデスクに行く理由がなくなりました。
あれ、これって今やなつかしい響きもありますが、つまり「ノマド」ということですよね。

身も心もここまで軽くなると、自信があるとかないとかを通り越して、すがすがしさで仕事がしやすくなるなあと感じている状況です。
やっぱり、空間や時間に空きがないとアイデアって生まれませんよね。
いや、企画のアイデアに限らず、生活していく上での話です。

人生って、自分の出すアイデアの多さで達成されるように思います。
たくさんアイデアを出して、どんどん自分で選択していく。
それが、自分の人生を豊かにしていくんだと思います。

なんか片付けの話から人生の話にまで広がってしまいました。
今日は、このへんでー(^^

無茶ぶりこそがアタマを動かす!

めずらしく、しばらくぶりの更新になりました。
ガラにもなく本業がアップアップだった上に、毎週の連載コラムも抱えていたため、ちょっと手が回らなかったのです。

しかし、一度流れてしまうとズルズルといってしまいます。
このブログは、毎週日曜(今日のように連休になったら連休最終日)の夜の更新としていましたが、あっという間に数週間も空いてしまいました。

先日読んだ齋藤孝さんの新刊「5日間で自分の考えをつくる本」にはこんなことが書いてありました。

「無茶振りがなければ、頭は動かない」

本書には、齋藤さんがフジテレビの「IPPONグランプリ」に出ているピースの又吉さんと話したエピソードが語られています。
又吉さんによると、とにかくこの番組での緊張感がすごいらしいのです。
強引なお題に、短時間で、しかも笑いを取れる答えを出さなければならないわけで、そりゃあすごいプレッシャーでしょう。

でも逆の見方をすると、そういう過酷なプレッシャーがかかっているからこそ、脳がフル回転して秀逸なアイデアが浮かぶとも言えますよね。
これはお笑いの世界だけでなく、あらゆる分野に共通する強力な脳の活性化術だというわけです。
まあ、ブログの更新は無茶ぶりというわけではないですが、締め切りを設定することによって行動を促していることは確かです。

脳の活性化

無茶ぶりで強制的に脳を回転させて、締め切りまでにアウトプットを出すというのは、僕のいる広告業界では恒常的に行われているものです。
たとえば、「競合プレゼン」という複数の広告会社にアイデアを競わせる習慣があります。
これは、締め切りを設定して強制的に脳を回転させる仕掛けといえるでしょう。
もちろん、競わされている側にとっては、かなり辛い仕掛けなので、あまり推奨したくないのですが。

チーム内のブレスト打ち合わせの場でも、「じゃあ一人10案ね」のような強制アイデア出しをしたりもします。
お酒の場でも、突然参加者に「一芸」を求めたりするという無茶ぶりも恒例です。
広告の仕事というものは、こういった普段からのトレーニングを基盤として成立しているというわけですね。

広告の世界を例に挙げましたが、とにかく人間は基本的にナマケモノなので、無茶ぶりがあってこそアタマが動くものです。
そして、どうやって自らその状況をつくるかということが、よいアイデアを生み出すコツだというわけですね。

まあでも、日本のように四季があると、「もうすぐ夏だ」「秋までにこれを仕上げねば」とせわしなく、何もしなくても季節の変わり目が締め切りになって、最低限の脳の活性化は促されるという考え方もありますね(笑。

今日はこのへんで(^^

※この本、いい気づきがあったので、また改めてキチンと紹介しますね。

原稿を書くのが遅いことに気がついた

今、宣伝会議のウェブサイト「アドバタイムズ」で、週一回のコラム連載をしています。
コラムのタイトルは「いいかげん、脱・広告宣言!」。
説明するのも野暮ですが、「いい加減、早くしろ」という意味と、とはいえ「そんなに固く考えずに適当に」という意味とのダブルミーニングになっております。

広告会社の社員でありながら、こんなタイトルで発信することにやや不安を覚えながらスタートしましたが、もう次で10回目を迎えます。
全部で12回の契約なので、あと3回ですね。

こういったコラムの原稿は、このブログなどと同じく本業とは別と考えていたので、気分が乗ったときなんかに時間を見つけて書いていました。
でも最近は他にもいろいろと寄稿の依頼をいただいたり、本業とは少し違う講演なんかも増えてきて、さすがに気分だけで対応することが難しくなってきました。
つまり、本業と同じように「生産性」を意識してやらないと追っ付かなくなってきたのです。

そこで、時間を測りながら原稿を書いたりするようになったのですが、僕は本当に書くのが遅いようです。
いつも白い紙に手書きで簡単なプロットを書いてから、頭に浮かんだ言葉をワードに打ち込んで、それを切り貼りするようにしてつなげていくのですが、こんなやり方で書いていくと、1000字書くのに2時間もかかっています。
「脱・広告宣言」は、2500字くらいあるので、毎度4時間以上かかっているような状況なのです。
改めて自覚して、びっくりです。

グロースハックデスクイメージ

そして本当にうれしいことなのですが、こういったコラムを書き始めると、その内容関連の仕事の相談をたくさんいただくようになります。
締め切りギリギリに原稿提出して、それが掲載されるとそのテーマについての仕事や講演の相談を受け、また次の原稿を書く時間が取れなくなってきて・・・、という好循環(?)が生まれてくるわけです。

というわけで、今はどうやって書くことの生産性を上げられるかを模索中。
でも、時間を意識するだけで少しは早くなってきているようにも思います。
まあ、これもある程度はトレーニングなんでしょうね。

「脱・広告宣言」については、これまでの掲載分をまとめておきます。
おヒマなときにでも。

第1話広告をしないクライアントを迎えよう!
第2話グロースハックとは、結局コミットメントの話なのだ
第3話コンテンツマーケティングは自転車のように乗りこなそう!
第4話数字の苦手な僕がデータサイエンスに向き合う理由
第5話そろそろ、組織名から「デジタル」を外そう!
第6話テクノロジーと「Wow」の関係は、ドラえもんに学べ
第7話ウェアラブルがもたらすのは、幸せか、あるいは…?
第8話「意識の95%は非言語」に広告の未来があるかも
第9話リアルタイムマーケティングは体制だけじゃできない!

今日はこのへんで(^^

カメがウサギに勝てた本当の理由

新社会人、新学期、転勤や転職での新しい職場環境や、昇格などによる新しい立場での仕事などなど、4月はいろんな人が新たなステージを迎える時期ですね。
電車やオフィスでも初々しい若者を見かけて、こちらもウキウキする一方、新しいチャレンジを始めた同僚を見てはソワソワしたりです。

この時期、僕はいつもイソップ物語の「ウサギとカメ」の寓話を思い出します。
僕はこの話が大好きで、よく話をするので聞いた人もいるかもですが、あらためて紹介しますね。

うさぎとかめ

この寓話は有名なので、ご存知ですよね。
ウサギとカメがかけっこをしていて、ウサギが油断をして昼寝をしていたらカメに抜かれてしまったという、例の話です。
この教訓は、「能力があっても油断をしてはいけません」とか、あるいは「能力がなくてもコツコツと地道な努力を続ければ報われる」というのが一般的でしょう。
でも本質的な読み解きは、次のような教訓ではないかというのです。

『ウサギはカメを見ていた。しかしカメはゴールを見ていた』

一見、二匹は互いに競争しているようです。
しかしカメは、初めからウサギのことなど関係なくひたすらゴールに向かって歩いていたのです。
それに比べ、ウサギはゴールよりもカメのことばかり気にしていた。
勝敗ではなく、課題に向かうカメの姿勢こそが教訓というわけです。

ライフステージが変わる時期には、他の人の動向がそわそわと気になったりもします。
でも他人と比較していたり、周りの評価ばかり気にしていては、ゴールを見失ってしまいます。
これは仕事でも、大げさにいえば人生でも一緒です。

本当のゴールが見えていれば、周りが走っていようが、休んでいようが関係ないですよね。
大事なことは、現在の自分のポジションを見極め、ゴールに向かってひとつひとつ課題をクリアしていくことだけです。
カメはそんなことを教えてくれているのではないでしょうか、という話。

日本の社会では、新卒一括採用システムからか、同期や同僚との競争や動向を必要以上に意識しすぎているように見えます。
もちろん、競争もいい方向に作用しているうちはいいのですが、それで自分の目指すところがブレてしまっては意味がないですよね。

ということで、毎年この時期になるとこの話を思い出して、カメを見習ってもう一度自分のゴールを確認することにしています。
はい、今日はこのへんで (^^

イラスト出典:「仁愛大学キャンパスブログ」より

大人ドイツの旅「田舎町ツェレ」で見たものとは?

仕事でドイツに行ってきました。
「やれやれ、またドイツか」とは、村上春樹「ノルウェイの森」のはじまりの場面。
僕の場合は2回目なので、まったく詳しくありません。
前回はフランクフルトでしたが、今回はハノーファーを中心に北の方をウロウロしました。
まあ派手さはないですが、ここは大人の旅ということにしましょう。

さて、ドイツ料理といえば、ジャガイモとソーセージ。
マズいとはいいませんが、南フランスやイタリアなどの南欧の料理のように美味とまではいきません。
このへん、ちきりんさんの書籍「世界を歩いて考えよう!」に納得の解説があります。

欧州でも北欧やドイツなど北に位置する寒い地域の料理には、保存の利く塩漬けや酢料理、根菜類が多い。
一方、南フランス、イタリア、ギリシア、ポルトガル、スペインなど地中海に面した温暖な気候の地域では、新鮮な魚介類も豊富だし、取れ立ての生野菜をふんだんに楽しめる。
「調理」という定義が、北欧では「保存して冬を乗り切るための方法」なのに比べ、南欧では「美味しく食べるための方法」なのだから、勝負にならないというわけです。
ドイツ料理

さて、ドイツは年間を通じてどんより曇った天候が多いです。
欧州でもこういった場所では、太陽の光を求めて南の方へ旅行するニーズが高いようです。
これもちきりんさんの本からですが、
ドイツから海外への年間渡航者数は、フランスへの渡航が1位(約1200万人)。
一方、フランスから海外への年間渡航者数で、ドイツへの渡航は8位(約120万人)。
およそ、10分の1というドイツの片思いっぷりなのです。
ちなみに、イギリスとスペインもちょうど同じような関係です。

といっても、もちろんドイツにも素晴らしい場所はたくさんあります。
今回、ちょっと立ち寄ったツェレという田舎町は、ため息のでるほど美しい町でした。
ツェレ1

こんなふうに戦時の被害を逃れて、昔ながらの木枠の家がすべてそのまま残っているのです。
(一応、触れておくとアンネフランクが最後を迎えた収容所が近くにはあります)
小さな街並は、まるで童話の世界から飛び出してきたようです。
ツェレ2

午前中は、このように朝市が開かれています。
美しい花屋、根菜類を中心とした野菜、ソーセージやチーズの屋台などなど活気溢れる生活感が楽しめます。
ツェレ市場

木枠の家はそれぞれ個性的なデザインで、建築年などが彫り込まれています。
中でも「ホッペナーハウス」と呼ばれる家が、もっとも美しいという情報を得ました。
で、僕もグルグル歩き回って、そのホッペナーハウスを見つけました。
ホッペナー1

確かにひときわ凝ったデザインで美しいです。
ドイツ語なのでよく分かりませんが、「これがホッペナーハウス」的な説明看板もぶら下がっています。
ホッペナー2

ところで、このホッペナーハウスは、何を営んでいる店なのでしょう?
入り口をみて驚きました。
ホッペナー3

・・・アップルストアです。
正確にはその契約店(プレミアム・リセラー)ですが、店内はいわゆるアップルストアの内装とディスプレイがそのままでした。
いや、目のつけどころが違いますね。
ドイツに来る前に立ち寄ったパリでも、ノートルダム大聖堂のすぐ前に巨大なアップルストアが開店を控えて工事中でした。
そのうち日本でも、金閣寺や龍安寺の一角にアップルストアが出店するのではないかとさえ思えてきます。

えー、ドイツと関係なくなってきました。
今日は、このへんで(^^

40代は広告業界で中途半端か?

自分のキャリアについて普段なんとなく感じていたことが、佐々紀彦さんの著書「5年後メディアは稼げるか」に、うまく言語化されていました。
それは、「今この業界で、40代というのはなんとも中途半端ではないか?」ということです。

本書は、新聞や雑誌などの紙メディア業界をテーマにしたものですが、広告やテレビなど、提供サービスがデジタル領域へシフトしていく業界では同じでしょう。
デジタル化といっても、単に今まで紙だったものがウェブサイトになるというようなことではありません。
デジタルが戦略のコアになって、あらゆる企業活動がデジタルを起点とするものなるということですね。
もっと言えば、デジタル部署が、会社のエースを投入するポジションになるということです。

で、以下、引用。
—————
率直にいって、40代のメディア人はこれからかなり厳しくなると思います。
今の40代はいかにも中途半端だからです。
50代、60代ほどではないにして、紙への愛着が強く、紙のモデルが体に染みついており、ウェブなどの新しい動きは頭で理解できても体で感じることはできません。
さらに、40代中盤以上の人たちはバブルを経験しており、昭和モデルの中で生きてきたため、ブランド主義というか、いろんな意味で古いヒエラルキーを意識している人が多いように感じます。
—————

まあ、本書にもありますが、新しい業態に向かうにあたって最も有害なのは、古い世界の固定概念です。
「ネットよりリアルの方がエラい」とか、「年上に意見してはいけない」とか、「物事を進めるにはみんなのコンセンサスをとる」とかの思い込みが、大きな妨げであると言います。
そうではなく、部署や社、専門や国の垣根を越えて、誰とでもフラットに付き合う姿勢や、失敗を恐れずにまずはやってみようというようなマインドが、ネットの世界にフィットするわけですが、40代はそういったカルチャーになじめないのではないかというわけです。

これは、ネット革命が起きた時代背景の結果、そうなってしまったとしか言えませんね。
なので、年功序列にこだわってる場合でなく、早く30代以下にチャレンジの場を譲れというわけです。
ちなみに50代はもう完全な管理職として、いろんな責任ポジションに30代以下を登用すればよいと言います。

たしかに、40代ががんばるほどに、旧来システムからの脱皮が遅れそうだというのはわかる・・・と、一般論としては理解しつつも、僕も40代として「そこまで言われて黙ってられん」という気持ちもあるわけですね。

forty age

では、僕らの世代がこれからの業界に貢献していくにはどうしたらいいか?
実は、そんなに難しいことではないと思っています。
それは、これまでやってきたことを実績とせず、じゃんじゃん捨てて、どんどん新しいことをやっていくことかと。

僕の場合、途中からこの業界に入ってきたので、年のわりにはまだキャリアは12-3年といったところですが、それでも実績をじゃんじゃんリセットしています。
そうすると、イヤでも新しい領域に向き合うしかありません。
それは自分だけでなく、誰もやったことがないという意味での新しい領域です。
何が成功で何が失敗かもよく分からないので、失敗は怖くないし、へんな自尊心もカラッとなくなってしまいます。

そんな大人げないチャレンジが本気で楽しいと思えたとき、「中途半端」というポジションから抜け出せるのかもしれないなあと、そんなふうに思うのでした。
今日は、このへんで(^^