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リーダーシップは、判断力でなく決断力

リーダーシップって、ちょっと気後れする言葉ですよね。
「いやいや、自分はまだまだそんな立場ではなく・・」みたいな。

でも実は、リーダーシップって、立場の話ではありません。
伊賀泰代さんの著書「採用基準」にもいい例があります。

たとえば、打ち合わせの場で、机に広げられていたちょっとしたお菓子や飲み物。誰かが処分しなければなりません。
そこで「自分が声をあげる問題ではない」と考える人がいるなかで、「このお菓子、置いていてもしょうがないので、どなたかもって帰れる人いますか?」と声をあげる人がいます。
そう、この人が、リーダーシップのある人です。

前者はなんらかの問題に気がついた時、「それを解決するのは誰の役割か、誰が責任者か」と考える人。
後者はそれを解くのが誰の役割であれ、「こうやったら解決できるのでは?」と自分の案を口に出してみる人。
後者が、リーダーシップのある人です。

こんなふうに、リーダーシップとは、それ自体そんなたいそうなことではありません。
発揮する場面は日常的に存在するものです。

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中谷彰広さんの講演映像をみていたら、リーダーシップについて、これまた面白い説明がされていました。
「マネージャーとリーダーは違う。判断するのがマネージャー、決断するのがリーダー」というものです。
やや言葉遊び的なところがあるので、ちょっと誤解が生じるかもしれませんが、補足としてこんな説明がされています。

ある問題解決について、意見が6:4にわれたとき、6をとるのがマネージャー。
意見が8:2にわれたとき、それでも2をとれるのがリーダー。

NHKのドラマ「坂の上の雲」で、印象的なシーンがあります。
日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊より攻め入られるというとき、司令長官の東郷平八郎は、大方の読みとは違う、参謀秋山真之の「バルチック艦隊は対馬から来る」という読みにかける決断をします。

途中、真之の「いや、やはり津軽から来るかも」という迷いもはねのけます。
「せめて、自国軍を半々に配備しては」という提案もはねのけます。
敵は大艦隊。半々ではどのみち勝てないのです。

結局、いわば8:2の意見の2をとって、対馬から来たバルチック艦隊に勝利。
これがリーダーの決断というわけです。

お菓子と海戦は極端な例ですが、問題の大小にかかわらず、リーダーシップを発揮する機会があるということ。
そして、お菓子のような日常的な場面でリーダーシップを発揮しない人に、海戦のような大きなプロジェクトでリーダーシップを発揮することは期待できないだろうということです。

なので、その人にリーダーシップがあるかどうかは特に大きな仕事をしなくとも、一日一緒に仕事をすればすぐにわかります。

僕の今の仕事は、巨大なシステムをトップ一人が動かすものではありません。
スモールチーム内の全員がそれぞれ意思決定をして進めていくものです。
つまり、全員にリーダーシップが求められます。

そんなリーダーシップを身につけるためには何が必要か?
いや、何か特別なトレーニングが必要だとは思いません。

「誰かが決めてくれるのを待つのではなく、自分たちで話しながら決めていく」
その意識を持つことで、大きく変わるのだと思います。

今日はこのへんで(^^

「選択」とは極めて禁欲的な行為だ

いつも、仕事でもプライベートでも、やりたいことやチャレンジしたいことがたくさんあって悩みます。
たぶん、みなさんもそうでしょう。
でも、すべてのことを漏れなくやるというのは、いくら時間があっても無理ですよね。

限られた時間の中で、何をやって、何をやらないかを決めていかなければなりません。
すごく大げさにいうと、自分の意思でやるべきことを選択し、人生を設計していくということ。

選択というのは、何をやるかを選び出すことですが、逆からいうと、他のすべての選択肢を捨てるということになります。
人生で自分が本当に獲得したいことをより抜き、そこに集中するために他のすべてを削り落とすということです。

ジョン・キムさんの著書「断言しよう人生は変えられるのだ。」に、すごくいい言葉があります。
「選択とは、ゼロから何かを創り出していくような創造的な行為ではなく、捨てたり、やめたり、断ったり、削ったりという極めて禁欲的な行為である」

ミケランジェロが彫刻のダビデ像を完成させたとき、こんなことを言ったそうです。
「自分はダビデを創ったのではない。ダビデは石の中にすでに眠っていて、自分は不要な部分を削り落としただけだ」

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きっと僕たち一人ひとりの人生にもダビデ像は眠っていて、日々の選択とは、その本質以外の不要な部分を削っていくことなのでしょう。
勇気を持って、ひとつひとつの選択を決断していかないと、自分自信のダビデ像は日の目をみないまま眠り続けていくことになりますよね。

本書には、だから「常に自分の人生の中で大切なことは何かを問い続け、それを先送りしない人生を生きよう」と、ありました。

うんうんと、ものすごく同感しつつも、「それが難しいからいつも悩んでるんじゃん」という気持ちもあり・・・。
今日はこのへんで(^^

正しいほど相手を傷つける。「正論」が通じない理由

ここ最近、人から相談を受けることが多くなりました。
仕事の相談はもちろん、ややプライベートなことまで。

僕もそういう立場になってきたんだなあと、なんだかうれしく思いながらも、ちょっと責任を感じたりとか。
いや、僕自信も、人に相談したいことが山ほどあるんですけどね。
どなたか聞いてくれませんか?(笑

相談

さて、そんなふうに人に相談されるときに気をつけていることがあります。
それは、「正論を言わない」ということ。

人に悩み事を相談されてよくやるのが、正論探しです。
僕も昔は「せっかく相談されたんだから、正しいことをアドバイスしなきゃ」と一生懸命に考えて答えてきました。

でも、以外と正論というのは通じないんですね。
相手はそんなこと聞きたくないんです。

これは山田ズーニーさんが言っていたことですが、正論が通じない理由として、「正論を言う時、自分の目線が相手より高くなっている」ということがあります。
正論って、エラそうなんですよね。
正しければ良いわけではないんです。

相談してくれた相手は、正しければ正しいほど傷つき、否定できず、すぐに自分を変えることもできません。
「わかっているけど、変えられない」
これほど、苦しめられることはありません。
相手は、僕のことを「自分を傷つける人間だ」と思ってしまうのです。

なので、正論を言うのではなく、まずは同じ目線で相手を理解することが大事です。
褒めたり励ましたりするのではなく、相手の現状を理解し、共感し、正直に思うところを示すということです。

もし同じ立場だったとき、どうするか?どう変われるか?を自分の経験に基づいて話すわけです。
「ふーん、それはなんで?」「いつからそうなの?」「なるほどねえ、僕だったらこうするかなあ」。
それはもちろん、自分の身の丈を超えることなく、等身大の言葉として。

そこに「答え」はありません。
どちらかというと、「答え」を与えようとするのではなく、「問い」を共有する。
「問い」は、人に自ら考える力を与えます。
問いを共有すれば、相手は自ら考え、行動する勇気を得るのです。

人間は、結構強いです。
でも、その強さを引き出してあげる必要があります。
それは、決して強くなるために正解を与えることではありません。
どうやったら強くなれるか?
ひとつできることとして、僕も一緒になって悩んであげることかなあと思うわけです。

これは、企業コミュニケーションも一緒です。
「こうするべき、ああするべき、うちの商品はそれをかなえてあげます、任せて下さい」
そんなふうに言われれば言われるほど、距離をとってしまうのが人間です。

そうではなく、生活者の気持ちや悩みを共有することが先です。

もっと人間の気持ちを理解し、尊重しましょう。
僕が担当するプランニングは、こういう思想に基づいています。
なので、自社の商品やサービスを強引に売り込みたいという考えには合わないかもしれません。

もっと深く、強く、人とつながるためにできることって何だろう?
そんなことばっかり考えています。
それは、個人として相談される僕も、仕事人としての僕も、同じスタンスです。

結局、コミュニケーションって、「人間理解」ってことだと思うのです。
今日はこのへんで(^^

本を速く読むためのたったひとつのコツ

先日、ピケティの書評を書いたりしていましたが、多くの人の反応は「あの本全部読んだの?すげー」というものでした。
本の内容より、あれだけ分厚い本を読破したことの方に興味を持ってもらえたということです。
ピケティより、僕に興味を持ってもらえたという意味ではうれしいですね。
なので、今日は、僕がどんなふうに本を読んでいるかを紹介します。

最近はさすがにちょっと少なくなりましたが、僕は数年前まで年間500冊ほど本を読んでいました。
500冊というと、週に10冊ですね。
もっとたくさん読んでいる人もいっぱいいるでしょうが、一般サラリーマンとしてはそこそこ読んでいる方でしょうか。

読書に充てる時間は、平日の朝、夜と移動時間、それと休日まとまった時間がとれれば、という感じです。
基本は紙の書籍を購入し、気になる部分があったページの端を折りながら読んでいきます。
最後に赤ペンを持って、もう一度折ったページのところを開いていって、気になっていた部分に一気に赤線を引いていきます。

赤線がものすごく多かった本は、電子書籍でも購入し、Kindleに入れて常時携帯しています。
とにかく、量をこなしたいわけですから、大切なのはスピードです。

reading

とはいえ、僕も昔は本を読むのが遅くて、すごく苦手でした。
フォトリーディングとか、世にあるいろんな速読術も試してみましたが、どうもうまくいきませんでした。
でも、そんな試行錯誤の中で、あるとき本を速く読むためのひとつのコツに気づきました。

それは「アウトプットの場を先に決める」というものです。
本を読むということは、インプットの作業です。
でもインプットというのは、それ自体は目的になりません。
何らかのアウトプットという目的があって、その手段としてのインプットであるはずです。

であれば、最終アウトプットの形によって、インプットの方法自体が変わってきます。
つまり、何のために読むかによって、読み方自体が変わってくるということです。

僕の場合、アウトプットの場は以下のようなものです。

・仕事の企画、アイデア、事例
・コラムなんかの原稿への引用や参考
・ブログでの紹介
・講演やセミナーへの引用や参考
・人との会話や対談

こういったアウトプットの場をいくつか持っておいて、その手段としての本を選んで読むわけです。
こうすると、アウトプットをイメージしながらそのための必要箇所を探しながら読み進めることになります。
結果的に一語一句すべて読む必要がなくなり、スピードが上がるということです。

逆に言えば、読んだもの全部がアウトプットにつながる、無駄のないインプットになります。
読んだものをきちんと自分の血肉にするという意味で、本を読むスキルというのは「錬金術」みたいなものなのです。

これは何も本だけの話ではありませんね。
ブログやメルマガを読んだり、映画やアートを見たり、セミナーやカルチャースクールに参加することもそうです。

アウトプットの目的や目標がないのにインプットを続けても、それは時間を浪費して遊んでいるだけになってしまいます。
使う目的のないお金を貯蓄し続けているようなもんです。

子供の頃は、学校の勉強が退屈でつまらないと思ってましたよね。
それは、将来どんなアウトプットつながるか分からずに、ひたすらインプットの授業を受けていたからです。

企業の活動でもそんなところがありますよね。
その昔は「工場」のように製品をアウトプットする場しかなかったのに、そのうちに「研究所」とか「シンクタンク」とかインプットの場がでてきました。
それがうまく回っている時はいいのですが、いつしかインプットが目的になってしまって、巨額の研究費を投じていながら全く新製品に結びつかないという事態が起きたりします。
そうなってしまうと、意味ないですよね。

これは確か、ちきりんさんのブログか本かだったと思いますが、「インプットだけならアウトプットだけの方が圧倒的にまし。インプットだけの人はいてもいなくても世の中は変わらない」という言葉がありました。
厳しいですが、一理ありますね。

ただそこまで言うなら、ちょっと反論もあります。
たとえば、「アプトプットの選択肢を広げるために、手当たり次第インプットが必要な場合もある」ということ。
僕の場合、そんなときはあえて普段自分とは関係ない世界の本を、ゆっくり時間をかけて読んだりしています。

どうでしょう、ちょっとは参考になりましたでしょうか。
今日はこのへんで(^^

サラリーマンが自由を手にする方法

会社がイヤになることって、誰でもありますよね。
たぶん、僕は人一倍、会社がイヤになった経験のある人間だと思います。

最近も会社がイヤになって、人から薦められ、声も掛けてもらって、もう辞めようなんて考えました。
自分がやりたいと思っていることと、会社から求められていることのギャップがある程度大きくなると、考えてしまいますよね。

でも、今はもちろん思いとどまっています。
それは、やっぱり会社というものが楽しいからなんでしょう。

以前もブログでこんなエントリー書いたりしています。
「会社というすばらしい仕組み」

世の中ではフリーランスやノマドがもてはやされる中、僕は、会社組織で働くことの意義について、もっと見直されるべきじゃないかなと思っています。

最近読んだ「ぼくは、世界一楽しいサラリーマン/石渡晃一著」という本にも、とても共感しました。
本書には「サラリーマンほど自由な職業はない」とあります。

サラリーマンには給料という、生きるための保証があります。
喫茶店で雑談していても、資料を探すといって本を読んでいても、その時間にも給料は支払われています。
別にお金のためだけに働いているわけではないけど、お金のことを考えなくても仕事に没頭できるという環境は、やはりすばらしいですよね。

freedom

僕は微力ながら、自分の力を少しでも、世の中がより良くなることに役立てたいと思っています。
もちろん、それを実現するために、独りでがんばっていくというやり方もあるでしょう。
でも、それだけではなく、他のやり方だってあるわけです。
つまりそれは、「会社をうまく使う」ということ。

この本には「会社は武器だ」とありました。
会社の看板だって、上司だって、同僚だって、全部自分が世の中を動かすための武器だと考えればいいわけですから。
会社で「何ができるか」ではなく、自分が「何をやりたいか」が先にあって、そのために会社をどう使うかを考えようというわけです。

僕からすると武器だと思っている同僚たちも、彼らからみれば逆に僕が武器になっていることもあるでしょう。
要するに、志を持って集まった人たちが、大きな仕事を力を合わせて作っているわけです。
そこでは、自分ひとりでは絶対に出来ないようなことをみんなで実現しているのです。

あちこちからバラバラに集まった仲間たちが、知恵を結集して、世の中を変えていく。
こう考えると、やっぱり会社ってすばらしい仕組みだというしかありません。

今の僕の取り組んでいるいくつかのプロジェクトチームだって、みんながいつも情熱をぶつけ合って、たまには言い争い、それでもプレゼンの場や実施現場では、全員がキラキラ輝いています。
すばらしいですよ、やっぱり会社ってすばらしい仕組みなんですよ。

仕事は楽しむためにあると思うんです。
この本にもありました。
「仕事を楽しめない人は、たぶん人生も楽しめない」

自分の意識さえ変えれば、主導権はいつだって自分にあります。
どんな仕事でも、自分が主体的に関わって、クリエイティビティを発揮できるのなら、こんな楽しいことはないはずです。

会社を武器として活用させてもらう。
その代わりに、自分が会社に何を提供できるかを考える。
自分と会社は対等の契約関係だ。

そんなふうに自分が主体となって仕事の主導権を握れれば、それはサラリーマンでありながらも「自由である」と言えると思うのです。

ただしその自由は、最低限やるべきことを120%で打ち返したその先にあるということを忘れないようにしましょう。
僕は、ついついそこを忘れそうになってしまうので。

ということで、当面、引き続き、会社での自由を追求していきたいと思っています。
今日はこのへんで(^^

※ちょっと会社がイヤになったときに。

3分でわかる「ピケティ」

「21世紀の資本」で話題のトマ・ピケティ氏が来日中ですね。
ベストセラーとなった本書は700ページを超えるボリューム。
僕の蔵書ではホイチョイのマンガ「気まぐれコンセプトクロニコル」に並ぶ分厚さです。

池田信夫氏の「日本人のためのピケティ入門」に助けられてなんとか読めた本ですが、ここで無謀にも3分で読めるようにまとめてみようと思います。

Thomas Piketty

本書の主張は、要約するとシンプルです。
20世紀後半以降「資本主義では所得分配の格差が拡大する」傾向があって、それは今後も続くというもの。
つまり、資本主義は不平等を押し進めるという主張です。

それがひとつの不等式で証明されています。
「r > g」
rは株式や不動産などの資本収益率、gは国民所得の成長率です。
労働者がどれだけがんばって収益をあげても、資本家の収益はそれを上回るというのです。
小作人ががんばるほどに、地主はより儲かる仕組みになっているというわけです。

これはなんとなく感じていたことだと思いますが、それがなぜ画期的な主張として迎えられたのでしょう?
これまで資本主義は「富を多くの人に行き渡らせ、所得の分配を進め平等化させる」とされてきました。
しかしこれは、20世紀半ばの例外時代に基づいた理論であり、ピケティ氏は、その理論を10年以上かけた独自のデータ調査でくつがえしたというわけです。

さらに近年、資本主義が格差を一層拡大させることになっている要因がいくつかあります。
たとえば、「教育とテクノロジー」。
高いスキルを持つ労働者は教育に依存している上、近年はどんどんテクノロジーへの置き換えが進んでいます。

それによって、米国などでは「スーパーマネージャー」といわれる、巨額のサラリーを得る大企業の経営者が誕生しました。
彼らは資本家でなくサラリーマンですが、そのサラリーを他に投資することによって資本収益を得ています。
そんなふうに生まれた格差が、「遺産相続」によって累積されてきている。
金持ちの子はいい教育を受けられてさらに金持ちになるという、始めから下駄を履いているわけです。

これら資本主義による格差是正に向けたピケティの提言もいたってシンプルです。
それは、グローバルでの「累進資本課税」。
たとえ一律1%でも、国際社会が協調して統一の資本課税を徴収するということです。
でも、現実的には国際協調での統一課税導入というのは難しいことでしょう。

では、日本ではどのように考えられるでしょう?
日本は、資本収益をあまり株主に還元せずに、企業の内部留保に回すことが美徳であるという文化があります。
この結果、企業の蓄えが超過状態でありながら、資本収益が再投資に回らないので、格差も拡大しない代わりに成長もしないとのことなのです。

最後に僕の意見を加えましょう。
僕は投資銀行で働いていたこともあり、基本的には資本主義、つまり市場とグローバリゼーションの機能を信じています。
これがあるから、民主主義が成り立ち、成長を追求するモチベーションが継続するのだと考えています。(もちろん、ピケティ氏も反資本主義ではなく、それを肯定しつつ、富の透明性を訴えているわけですが)

ただ、僕の書いた「つなげる広告」では、資本主義だけが人の幸せでないことを主張しています。
たとえば、大規模交通事故は多くの人を不幸に陥れる惨事ですが、救助作業や道路清掃などの需要でGDPは加算されます。
人の幸せはGDPでは測れません。
資本主義による格差拡大はピケティ氏によって証明されたのでしょうが、それと人の幸福度はイコールでないということです。

今、ハピネスの概念は、物質的な豊かさだけではなく、文化や精神、公正さ、環境維持などの価値観へ転換しているところです。
格差是正の政策はもちろん進めていただきたいですが、僕自身はお金の格差よりもっと大事な価値観が見つかれば、それで満足だと考えています。

と、こんな感じですが、3分で読むにはちょっと長くなってしまいましたかね?
今日はこのへんで(^^

※本書は漬け物石代わりにもなります。

※あなたが学者ででもなければ、こちらの方がお薦めです。

思考と感情を全て書き出してスッキリしよう!

前回のエントリー「自分の人生を取り戻すため、紙の手帳に戻す!」に多くの反響をいただきました。
今回は、その延長として「書き出すこと」について考えてみましょう。

前回、紙の手帳とメモをセットで携帯することで、思いついたことをすぐに書き留めることができるということを述べました。
ふと頭に浮かんだことを手帳やメモに書き出すことには、実は想像を超える効用があります。
これについては「書き出す」ということができれば、手書きでなくても、エバーノートなどにタイピングしたり、ダイレクトにツイッターやフェイスブックで発信してもいいと思います。

大事なことは、頭の中のモヤモヤした思いを「言語化」して「吐き出す」という作業です。
これは、潮凪洋介さんの新刊「人生は書くだけで動き出す」に、「吐き出しライティング」という言葉で紹介されていました。
作業時間にしてほんの数分ですが、自分の考えたこと、感じたことを1行だけでも文字にしてみるのです。

書き出しイメージ

たったこれだけの作業ですが、自分の思いを吐き出すと頭がスッキリします。
自分の思考と感情が言語化できると、快感を得ることすらできるのです。

「若者がキレやすくなった」というようなことが言われたりしますが、その原因のひとつには、若者のボキャブラリーが減っていることもあると思います。
ボキャブラリーが減るということは、自分の思考や感情を表現する選択肢が減るということです。
「マジ」とか「ウザ」とか「ヤバ」とか「キモ」とか、そんな言葉ばかりで、自分の思いを表現しなければならなくなっているわけです。

でも、人間の思考や感情は、もっと複雑なはずです。
自分が本当に思っている複雑な気持ちをうまく表現できないと、ストレスが蓄積し、最後にはキレてしまうというわけです。
モヤモヤした思いをきちんと整理して言語化するという「吐き出しライティング」には、こういったストレスを溜めないという効用があるのです。

これを実践して、自分の思いを言語化して書き出すと、あらためて自分が何を考えていたのかに気づかされることになります。
「自分は、こんなことを考えていたのか」
「自分は、こんなふうになりたかったのか」

なりたいこと、つまり「自分の願望」が言葉になると、今度はそれをどうやって達成していくのかに思考が及びます。
願望を達成するために何をしなければならないか、つまり「やるべきこと」がハッキリしてくるわけです。
ならば、これもどんどん書き出していきましょう。

そして「やるべきこと」が言語化できると、それを「実現するためのアイデア」も浮かんでくるはずです。
ならば、そのアイデアもどんどん書き出していきましょう。

どうですか?
自分の目標が言葉になり、その実現のために何から始めればいいかが見えてきませんか?
それが見えれば、頭のモヤモヤは、断然スッキリするでしょう。

こうやって毎日、思考や感情を書き出し続けることで、自分の行動や生き方まで変えていけるはずです。
大げさに言えば、自分の未来を自分で創っていけるわけです。

では、頭と気持ちがスッキリしたところで、今日はぐっすり眠って、明日からなりたい自分に向かって実践してみましょう。
今日はこのへんで(^^

自分の人生を取り戻すため、紙の手帳に戻す!

書店や文具店に行くと、ずらっと来年の手帳が並んでいる時期になりましたね。
ご存知の方もいると思いますが、僕はかなりの「手帳オタク」です。
若い頃にもったいない時間の使い方をしたという自責の念からか、時間管理に異様なこだわりがあるんですよね。

そんな僕ですが、今回、大きな決断をしました。
ここ1年以上、Googleカレンダーと同期アプリのデジタルスケジューリングを活用してきましたが、来年は紙の手帳に戻します!

●手帳で人生が変わる
僕は、「超手帳法」の著者である野口悠紀雄さんの影響もあって、手帳で人生が変わると考えています。
人生を有意義に生きたいというのは、誰しもが思っていることです。
なので、有意義な人生の中身、つまり「生き甲斐」について語られることは多いですよね。

でも有意義な人生を実践していくというのは生き甲斐の問題ではなく、自分の意志で時間を生み出してどう使うかという「時間の使い方のテクニック」の問題です。
そのテクニックをサポートしてくれるのが「手帳」だというわけです。

手帳は、誰かに指示された予定を記入しておくための「備忘録」ではありません。
自らが主体となって目標を設定し、そこに向かって自分のペースをコントロールしていく「スケジューリング」のツールなんですね。

●本当の手帳に必要な5つの機能
前述の野口悠紀雄さんの著書にもある、本来の手帳に求められる機能をまとめるとこの5つになるでしょう。

①能動的なタイムマネジメント。
人から「その時間、空いてる?」という受身で時間を奪われるのではなく、自ら時間を主体的にコントロールする機能。

②時間を「見える化」する。
埋まっている時間と空いている時間が一目でわかる機能。

③自分にとって重要な仕事のために、能動的にクリエイティブな時間を確保する機能。
上記の「空き時間」というのは暇というわけはありません。
むしろその逆で、その時間こそ自分にとって重要な仕事ができるわけです。
なので、やらされ仕事をしている人の手帳が真っ黒に埋まっているのに比べ、重要な仕事をしている人の手帳は空き時間が多く、手帳が白いのです。

④To-Doリストを作ることで、脳の記憶使用による負担を軽減する機能。
自分の脳にもキャパがあります。
その脳を案件のメモリーに使ってしまっていてはもったいないというわけです。
単なる記憶は手帳に任せて、脳の機能を出来るだけクリエイティブな作業に回します。

⑤脳が苦手な「短期記憶=思いつきアイデア」を逃がさずにメモする機能。
アイデアの降臨はコントロールできません。
それを記憶できず、「ああ、いいこと思いついたのになんだっけかなあ」というような経験は誰しもがあるでしょう。
これも、常に手元に手帳を持っていることで、すかさず記録することができるわけです。

●「超整理手帳」から「Googleカレンダー」へ
僕は何年もの試行錯誤の結果、2010年には野口悠紀雄さん考案の「超整理手帳」にバーチカルタイプ(曜日縦割りタイプ)が登場し、これに落ち着きました。
この手帳の特長は、8週間の長期スケジュール全体が俯瞰できるよう、ジャバラ式になっていることです。

超整理手帳1

この手帳を使い始めてから、自分の仕事を能動的に組み立てることができ、本も出版し、活動の領域を広げていくことができました。
しかし、スマホと手帳の両方を携帯することにストレスを感じていた僕は、ちょっとでも荷物を減らしたいという理由で、昨年の途中からGoogleカレンダーと同期アプリにスケジューリングを移行したのです。

紙にないデジタルの利便性はたくさんありました。
たとえば、
・スマホ、オフィスのPC、ノートPCなど、どこからでもアクセスできること。
・入力変更や削除など、編集が容易なこと。
・毎週の定例事などを一括で入力できるなど、コピーが容易なこと。
そして何よりも、当初の目的である「手帳を持ち歩かなくてよいこと」が大きいわけです。

しかし、デジタルスケジューリングにしてから、どうも自分で能動的に時間をコントロールできていない感じなのです。
上記の利便性が故に、人からの予定変更依頼にも対応しやすくなって、コロコロと予定を変更するようになったからでしょうか。
それに、やはりスマホの画面での時間管理は一覧性には厳しく、どうしても近視眼的な活動になってしまうようです。
やはり長期を一覧できるジャバラを常にデスクに広げておけるという、紙特有の効用というのは大きいと思いました。
ならばということで、来年は紙の手帳に戻そうと考えたわけです。

●「超整理手帳2015」の購入へ、しかし
僕は、もう一度自分の人生を取り戻そうと「超整理手帳」の2015年用を購入することにしました。
もちろん、こだわりは、バーチカルタイプであることです。
ところが、どの書店にもノーマルタイプは置いてあるのですが、バーチカルタイプはありません。
アマゾンにすら置いてないのです。

不思議に思っていろいろ調べてみると、2015年からバーチカルタイプのオリジナル版は廃止になって他社デザインによるコラボ商品のみとなり、しかもノグラボ(野口悠紀雄さんのECサイト)のみでの販売になるとのことでした。
ま、仕方ないので、早速それを購入しました。
が、しかし。
到着したものは、色は変なブルーで、紙の質も粗悪になっていて、かなーり残念なものになっていました。
バーチカルタイプは、一番需要があると思っていたのですが、どうしてこうなっちゃったんでしょうねえ。

超整理手帳2

まあとにかく、紙の質より人生の質の方が大事なので、今月半ばからはこれを使おうと思います。
うまく活用できれば、また能動的に時間を生み出せるようになるでしょうし、それをクリエイティブな仕事にあてて有意義に再投資していけると思います。
年々、人生の残り時間が少なくなると感じる今日この頃、時間の有効活用への執念がどんどん深くなっているんですよね(汗。

ちなみに、受動的な仕事に追われ時間を奪われた結果、気が付いたら定年になってしまったという状況は、「竜宮城シンドローム」と呼ばれています。
恐ろしいですよねえ(笑。

今日は、このへんで(^^

※この本、今回もう一度読み直しましたが、やはり深いです。

競争しないで、次に行こう!

先日、「共創マーケティング」についての講演をさせていただきました。
「共創」といっても、いろんなレベルで語られてきましたが、今回はわりと新しい領域に踏み込んでいます。

そのひとつがこれ。
オープン「amidus」プロジェクト

理想は語られてもまだ実現されていない、真のオープンイノベーション的なものを探りたいなと思ってのチャレンジです。

まあ、それはいいのですが、ここ最近は、他にもいくつか新しい領域の仕事を手探りしている感じです。

僕が新しい仕事の領域に行こうと考える時は、同じ領域で同じことが出来る人、つまり僕にとっての「競合」が増えてきた時です。
その領域で、僕じゃなきゃできない仕事というのが少なくなってきたからです。

もちろん、スポーツのように、「その種目で並みいる競合に打ち勝ってナンバーワンを維持していく」という選択もあるかもしれません。
ただ、僕はそういうタイプじゃなく、代わりになる人が増えてくると、次に目がいってしまいます。

「競争に勝つ」という話でいえば、古典になりつつあるマイケル・ポーターの「競争の戦略」という理論があります。
その後は、「ブルーオーシャン戦略」という理論も一世風靡したりしました。

これらに共通することは、「競争戦略」と言いながら、その本質は「競争しない戦略」だということです。
競合にガチで対抗するのではなくて、競争から逃げながら、勝てるところを探すわけです。

blue-ocean

僕の場合は、「勝てるところを探す」などというたいそうな話ではないですが、とにかく好奇心が優先されるというか、飽きっぽいというか、じっとしてられないというか・・・。
そんな感じだから、どんどん非広告領域に踏み込んでいってしまうのだと思います。

まあ、「何かを成し遂げたい!」というより、「好きなことを探して今を楽しみたい!」の方がしっくりくるタイプなんでしょうね。
それで新しいことが見つかればラッキー、という感じでしょうか(笑。

良いことなのか、良くないことなのか分かりませんが、ちょっと今の気持ちを整理してみました。
今日はこのへんで(^^

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ちゃんと「自分の考え」を持つ方法

先日、ヴィレッジヴァンガードさんが主催する「雑貨大賞」というアワードの審査員をさせていただきました。
表彰イベントでは、受賞作品について評価のポイントを聞かれて、甚だ恐縮ではありますがいろいろとコメントしたりしてきました。

雑貨大賞

いつからかこんなふうに、何かの出来事についてコメントを求められたり、本の書評を依頼されたりすることが増えました。
ある事に対する「僕自身の考え」を聞かれて、パッと答えなければならない場面が増えてきたということです。
でもこれって、そんなに簡単なことじゃないんです。

例えば、テレビのニュース、新聞の記事、ネットの情報を見せられて、「どう思いますか?」と聞かれたらどうでしょう?
さらっと、気の効いたコメントをできるでしょうか?
なかなか難しいですよね。
ここで思考停止に陥らず、どんな内容であってもコメントするにはどうしたらいいのでしょう。

齋藤孝さんの著書「5日間で『自分の考え』をつくる本」には、こんなふうに述べらていました。
人が何かを見聞きしたとします。
ここですぐに何かを言える人が、「自分の考えがある人」
気の効いたことが言えない人が「自分の考えがない人」
というのです。

つまり、きちんと「自分の考え」を持つことが、こういった場面に対応できるようになることというわけです。
そして、その「自分の考え」をつくるために最適なトレーニングがあるといいます。

それが「レビューを書く」ことです。
本や映画や音楽、旅行やクルマや鉄道、ネット上にあるいろんなサイトにレビューを書くことで自分の考えを明確にしていくわけです。
僕も、レビューを書くことを実践しています。

レビューというのは単なる感想文ではありません。
この映画や曲が「好き」とか「キライ」とか、個人の好みを語っても受け手にとっては価値がありません。
「一生懸命さを感じる」や「心に響く」や「誠実だ」などの抽象的な表現も価値がありません。
「自分の立ち位置」を明らかにして、「どんな視点で語るか」にこそ価値があるわけです。

この本には、「いいレビューは社会貢献だ」とまで述べられています。
音楽でも映画でも、いいレビューやコメントは、それを読んだ人を新しい世界にいざなうことになります。
それは、もう社会貢献に値するというわけです。

「自分の考え」を述べられるようにすることは、自分自身への貢献でもあると思います。
世の中にはいろんな出来事で溢れています。
そういったひとつひとつの出来事に対して、自分の立ち位置、考えを明確にしていく。
それは、それらを何も感じずに素通りさせることよりも、ずっと人生を豊かにすることだと思うわけです。

ということで、今日はこのへんで(^^