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3分でわかる「ピケティ」

「21世紀の資本」で話題のトマ・ピケティ氏が来日中ですね。
ベストセラーとなった本書は700ページを超えるボリューム。
僕の蔵書ではホイチョイのマンガ「気まぐれコンセプトクロニコル」に並ぶ分厚さです。

池田信夫氏の「日本人のためのピケティ入門」に助けられてなんとか読めた本ですが、ここで無謀にも3分で読めるようにまとめてみようと思います。

Thomas Piketty

本書の主張は、要約するとシンプルです。
20世紀後半以降「資本主義では所得分配の格差が拡大する」傾向があって、それは今後も続くというもの。
つまり、資本主義は不平等を押し進めるという主張です。

それがひとつの不等式で証明されています。
「r > g」
rは株式や不動産などの資本収益率、gは国民所得の成長率です。
労働者がどれだけがんばって収益をあげても、資本家の収益はそれを上回るというのです。
小作人ががんばるほどに、地主はより儲かる仕組みになっているというわけです。

これはなんとなく感じていたことだと思いますが、それがなぜ画期的な主張として迎えられたのでしょう?
これまで資本主義は「富を多くの人に行き渡らせ、所得の分配を進め平等化させる」とされてきました。
しかしこれは、20世紀半ばの例外時代に基づいた理論であり、ピケティ氏は、その理論を10年以上かけた独自のデータ調査でくつがえしたというわけです。

さらに近年、資本主義が格差を一層拡大させることになっている要因がいくつかあります。
たとえば、「教育とテクノロジー」。
高いスキルを持つ労働者は教育に依存している上、近年はどんどんテクノロジーへの置き換えが進んでいます。

それによって、米国などでは「スーパーマネージャー」といわれる、巨額のサラリーを得る大企業の経営者が誕生しました。
彼らは資本家でなくサラリーマンですが、そのサラリーを他に投資することによって資本収益を得ています。
そんなふうに生まれた格差が、「遺産相続」によって累積されてきている。
金持ちの子はいい教育を受けられてさらに金持ちになるという、始めから下駄を履いているわけです。

これら資本主義による格差是正に向けたピケティの提言もいたってシンプルです。
それは、グローバルでの「累進資本課税」。
たとえ一律1%でも、国際社会が協調して統一の資本課税を徴収するということです。
でも、現実的には国際協調での統一課税導入というのは難しいことでしょう。

では、日本ではどのように考えられるでしょう?
日本は、資本収益をあまり株主に還元せずに、企業の内部留保に回すことが美徳であるという文化があります。
この結果、企業の蓄えが超過状態でありながら、資本収益が再投資に回らないので、格差も拡大しない代わりに成長もしないとのことなのです。

最後に僕の意見を加えましょう。
僕は投資銀行で働いていたこともあり、基本的には資本主義、つまり市場とグローバリゼーションの機能を信じています。
これがあるから、民主主義が成り立ち、成長を追求するモチベーションが継続するのだと考えています。(もちろん、ピケティ氏も反資本主義ではなく、それを肯定しつつ、富の透明性を訴えているわけですが)

ただ、僕の書いた「つなげる広告」では、資本主義だけが人の幸せでないことを主張しています。
たとえば、大規模交通事故は多くの人を不幸に陥れる惨事ですが、救助作業や道路清掃などの需要でGDPは加算されます。
人の幸せはGDPでは測れません。
資本主義による格差拡大はピケティ氏によって証明されたのでしょうが、それと人の幸福度はイコールでないということです。

今、ハピネスの概念は、物質的な豊かさだけではなく、文化や精神、公正さ、環境維持などの価値観へ転換しているところです。
格差是正の政策はもちろん進めていただきたいですが、僕自身はお金の格差よりもっと大事な価値観が見つかれば、それで満足だと考えています。

と、こんな感じですが、3分で読むにはちょっと長くなってしまいましたかね?
今日はこのへんで(^^

※本書は漬け物石代わりにもなります。

※あなたが学者ででもなければ、こちらの方がお薦めです。

フルーツ食でコンディションアップ!

僕の周囲では風邪やインフルエンザが流行っていますが、みなさんは大丈夫ですか?
いや病気だけでなく、飲み過ぎだとか、なんか眠いとか、体調悪いとか。。。

これは自戒を込めてですが、いくらスキルを磨いてもコンディションが悪ければ、集中力があがらず仕事ははかどりませんよね。
スポーツ選手などでは当たり前の話なのでしょうが、ビジネスの世界でもムラをつくらず安定したパフォーマンスを出していくことはすごく大事だと思うわけです。
そんなことを思っていた昨年末に、「一流の人はなぜそこまで、コンディションにこだわるのか?/上野啓樹・俣野成畝著」を読んでかなりのヒントを得ました。

よく言われるように、コンディションをアップするには食習慣の改善が必要です。
ただ本書では、それが「消化」という点から説明されているのがユニークです。

実は人間のカラダにとって、一番エネルギーを必要とするのは「消化」です。
一日の消化に要する体力は、ハーフマラソンを2時間以内で走るのと同等とのこと。
食べ物から摂取したエネルギーが、ほとんど「消化」に使われるのですから、こんな非効率なことないですよね。
言い換えると、腹持ちのいい食べ物=消化の悪い食べ物というのは、エネルギーを無駄に使い、コンディションを低下させるというわけです。

これが一番の気づきでした。
つまり、集中して仕事でハイパフォーマンスを出せるのは、お腹が満たされているときではなく、「空腹時」なのです。
「腹が減っては戦はできぬ」という言葉、あれウソだったんですね。
確かに、野生動物を考えれば分かります。
ライオンやチーターが狩りををするときも、空腹時で神経が研ぎすまされたときです。
僕たちも空腹時こそ、キレキレで仕事ができるというわけです。

野生動物には肥満や痩せすぎという個体はありません。
みんな無駄のない美しい体型をしています。
それは自分が何をどれくらい食べたらいいかを分かっているからです。

その動物が何を食べているかは、歯を見ればわかります。
シマウマやキリンなどの草食動物は草をすりつぶし易い平たい歯を持っていて、ライオンなど肉食動物は肉や骨をを砕くのに適した尖った歯を持っています。
もちろんその歯にあわせて、それぞれ野菜や肉を消化しやすいカラダの機能になっているわけです。

人間の歯は全部で32本です。
そのうち20本が臼歯、8本が門歯、あわせて全体の9割で、これらは穀物と野菜やフルーツを食べるためにあります
残りの4本が犬歯、これは全体の1割で、魚や肉を食べるためにあります。
なので、人間はそもそも、魚や肉を1割以上消化できないカラダになっているのです。

で、本書の提案は、中でもフルーツを主体とした食習慣にしようというものです。
なぜならフルーツには「消化酵素」という食べ物を消化分解し吸収する働きをする酵素を大量に含むという特徴があるからです。
つまりフルーツならば、胃の中にいながら胃を動かすことなく、勝手に40分ぐらいで自ら消化してくれるのです。
これなら消化にエネルギーを取られることがありません。
フルーツでお腹いっぱいになっても、キレキレで仕事に集中できるわけです。

フルーツ食

本書はかなり極端なのですが、毎日の食事をノーマルデーとフルーツデーで組み立てるように薦めています。

●ノーマルデー
 朝食:フルーツ
 昼食:サラダ+ランチ
 夕食:サラダ+ディナー

●フルーツデー
 朝食:フルーツ
 昼食:フルーツ
 夕食:フルーツ

これを習慣にしていくには、まずはこれまでカラダに蓄積された毒を排出する必要があります。
そのためデトックスプログラムとして、フルーツデーを3日継続し、ノーマルデーを3日継続するというのを交互に1ヶ月おこなうことからスタートするように薦められています。
で、1ヶ月後からは週1回のフルーツデーで、あと6日はノーマルデーであればいいとのこと。

僕の場合は、さすがに1日3食のフルーツを3日はしていないのですが、昨年12月の半ばにフルーツデーを1日設けて、それ以来は毎日ノーマルデー、つまり朝食はフルーツのみというのを続けています。
それでも、かなり快調。
昼間に眠くなったり、週の半ばで疲れてきたり、お酒が翌日に残ったりというのがなくなりました。
そのうえ、昼は食べないこともあります。
これまでは、常にお腹が満たされていることを普段の状態にしていましたが、今は空腹であることが普段の状態なのです。

栄養についても、質のいいフルーツさえ食べていれば心配もないとのこと。
カロリーというものだって、ただの「熱量の単位」なので、健康にもダイエットにも関係ないのです。
筋骨隆々のゴリラだって、食べ物の9割はフルーツなんですよね。

いや本当に、これまで当たり前だと思っていた常識を疑ってみることは大切です。
本書には、牛乳やヨーグルトが腸によくないこと、コーヒーがいかにカラダを乾燥させるか、栄養ドリンクがよけいにカラダを疲れさせること、野菜ジュースの危険性など、これまでの思い込みを見直すきっかけが満載です。

ちょうど最近、仕事の量がハンパなくなってきて、物理的な時間が入りきらなくなってきたので、質をあげることで解決しなきゃと思っていたところです。
このコンディションアップ策は、そんな僕の現状を救ってくれるひとつの手だと思って、当面続けてみようと思います。

これからの経過は、またこのブログで報告していきますね。
ということで、今日はこのへんで(^^

大人に向かうキミへ「自分だけの山を見つけてほしい」

今日、成人を迎えるみなさん、おめでとうございます。
僕は週1回大学で講義をしていますが、その受講生の多くは大学2年生なので、無事成人式を終えたことでしょう。

じゃあ、みんな今日から一人前の大人ということでいいですか?
いやいや、そんな1日で急に大人になれるわけないですよね。
逆に、これからの人生について、漠然とした不安や焦りや葛藤を感じていることでしょう。

なぜ不安か?
それはこれから生きていく上で、人生の目標となるものが見つかっていないからでしょう。
でも大丈夫です。
人生の目標なんて、そんな簡単に見つかるものじゃないですから。

これは慶応大学院准教授のジョンキム氏の本に述べられている言葉です。
人生の目標を見つける上で大事なのは、常に「自分の価値とは何か?自分が社会に貢献できる価値とは何か?」を意識しながら登るべき「自分だけの山」を見つけること。

ゆずの歌にも「てっぺん」という曲がありますが、あれですね。
「どっかの山のてっぺんで、どっかの誰かが笑ってる。僕はそれを見ながら、違う山のてっぺんを目指してる」

自分だけの山を見つけ、登って行くことで、「誰とも取り替えのきかない人間」になっていくことでしょう。
いや何も、スティーブ・ジョブズとか孫正義とか、そんな大きな山を指しているわけではありません。
どんな小さな山でも自分で見つけることが大事なわけです。
逆に言うと、人の見つけた、あるいは人が創った山に登る人生はつまらないということです。

人生の山

「山」とはつまり、「自分の価値観、自分の基準」ということです。
ただ、注意が必要です。
この「自分の基準」は、よく「世の中の基準」とぶつかるのです。
そのとき、自分の基準を世の中の基準より優先できるか?
そこには「勇気」が必要になってきます。
自分だけの山を登るというのは、勇気がいることなのです。

さて、自分で見つけ、自分で選んだ山。
この選択は正しかったのでしょうか?
多くの人は、自分の選択に自信が持てず、不安を抱えることになるでしょう。
これもジョンキム氏の本にヒントとなる言葉がありました。
実は「人生の選択における『正解』は、選択した瞬間には存在しない」というのです。

つまり、自分で選択した山を「正解」にするのは自分自身だということです。
選択した山を「正解」にしていく過程こそが、人生の醍醐味だというわけです。

僕は、山の選択し直しが人生に何度もあっていいと思っています。
専門職の転向、会社を辞めての転職、海外への脱出、離婚や再婚などなど。
僕自身も何度も山を再選択しています。
前回のエントリーにも書きましたが、今は世の中の変化が早くて、5年後すらどうなっているか分かりません。
そんな中で、生涯に渡る理想の人生など見通せるわけがありません。

理想の人生とは結果論です。
常に自分だけの山を見つけることを意識し続け、その選択を正解にしていくプロセスそのものに意味があります。
その結果が、自分にとって理想的な生き方、理想の人生になっていくんだと思います。

実は僕の娘も今日が成人式。
大人に向かうキミへ。勇気を持って、自分の山を見つける旅に踏み出して欲しいと思います。

って、絶対このブログ見てないと思いますが。。。
今日はこのへんで(^^

※ジョンキム先生の書籍には独自の人生哲学が詰まっています。

冬のグアムで「ひまわり生活」トライアル!

みなさん、明けましておめでとうございます。
僕は、12月末にグアムに行ってきました。
ここ数年、冬のほんの数日間ですが、グアムで過ごすことを続けています。

大橋巨泉さんが「セミリタイヤ」をして実践されている「ひまわり生活」というスタイルがあります。
これは、1年間を温暖な場所を移動しながら生活するというもの。
常に太陽の方を向いて動くことから「ひまわり」というわけです。
たとえば、巨泉さんの場合、「巨泉流」という本によると以下のように1年を過ごされているとのこと。

・11月中旬から4月中旬はオーストラリアのゴールドコースト(うち数ヶ月はニュージーランドのオークランド)。
・4月中旬から5月末までは千葉県東金市の自宅。
・6月から9月中旬まではカナダのバンクーバー。
・9月中旬から11月中旬まで再び千葉の自宅で過ごした後、オーストラリアへ。

ゴールドコーストの夏(日本の冬)はどんなに暑くても30度前後までしか気温は上がりませんし、バンクーバーの夏は(行ったことないのでですが)、花が一斉に咲き、ベリーが実をつけ、小鳥や小動物が見られ、汗もかかずに過ごせるこの世の天国らしいです。
寒いのが苦手な僕は、この「ひまわり生活」に憧れていて、いずれリタイアした後にはこういったスタイルを目指したいと思っていました。

しかしこの「リタイア」というのが難しいですよね。
つまり自分が何歳まで働くのかということですが、ちょっと前まで会社員であれば「定年まで」ということが一般的だったでしょう。
それはもちろん、定年後の年金生活をあてにできたからです。
巨泉さんのような「ひまわり生活」は、とても庶民には手の届かない夢のような生活に見えますが、実は今すでに年金受給をしている人なら厚生年金と企業年金あわせて月に30-40万円もらえたりしているので、贅沢さえしなければ不可能ではありません。

でも今は状況が大きく変わりつつあります。
政府が年金の支給開始年齢を引き上げるために雇用の延長を推進しています。
僕の年齢だとすでに厚生年金は65歳からの支給が確定しています。
しかもこれはもっと引き上げられることが濃厚で、70歳超えてからの年金受給の可能性があり、そのために70歳を超えても働く必要性が出てくるわけです。

いやいや、70歳を超えて今と同じ仕事のスタイルを継続している自分は想像できません。
というか、こうなると社会全体が働き方についてリデザインしないといけないのかもしれません。
みんな22歳で新卒入社して、70歳までの50年間、1週間の夏休みと冬休みだけでずっと同じ仕事を続けるのでしょうか・・・。
いや、考えられない、これからは働くという概念自体が変わっていくように思います。
途中で専門職を変えたり、40代で充電期間のため数年間休養するとか、別の専門学校に行くとか、いろんな働き方の選択肢が出てくるんだろうなと思うのです。

というわけで、僕も「ひまわり生活」を実現するために、いつになるか分からない「定年」を待ってられません。
定年はあてにせず、ずっと自分の好きな仕事を選びながら働き続けることを前提に「ひまわり生活」を実現できないか模索していこうと思ったわけです。

なので、ここ毎冬行っているグアムは旅行ではなく、そこで生活できないかと実験している状況です。
現地では観光することもなく(そもそもグアムに観光地はあまりありませんが)、毎日同じことを繰り返しています。

・毎回タモンの同じホテルのほぼ同じ部屋に宿泊します。
・朝5:30に起きてジョギングします。
・朝食(フルーツ)を食べて海に行きます。
・ビーチの近くでランチ(ハンバーガー)を食べて、昼には部屋に戻ります。
・午後は夕方まで、部屋やラウンジで仕事します。
・夕方、サンセットを見てそのまま夕食(和食)に行きます。
・夜は部屋で本を読んで、22:00には寝ます。

guam beach

そろそろ自炊したいのですが、今のホテルにはキッチンがついていないので、宿を変えなきゃなと思っています。
というか、グアムは輸送コストからか水や食材が高価で生活コストが高すぎるので、場所自体を考え直さないといけないかもしれません。
ちなみに、夏については、昨年から軽井沢で実験しています。

こういった「ひまわり生活」で仕事をするのがいいかどうかは人それぞれの価値観だと思います。
そんな面倒なことせずに、都心に居続ける方が性にあっている人もいるでしょう。
ただいずれにしても、人生の大部分を占めることになる仕事において、会社員であってもそのスタイルを、国や会社に頼らずに自分で組み立てなければならない時代になってきていることは確かでしょう。
ならば、どんな仕事のスタイルでも「自分で選択」することが、幸せかどうかの大事なキーポイントになるんだと思います。

理想の人生といっても、今は世の中の変化が早くて5年後すらどうなっているか分かりません。
そんな時代、もはや理想的な生き方とは、結果論でしかないと思います。
「自分のやりたいことを自分で選択する」ということをコツコツと積み重ねていった結果、それが自分にとって理想的な生き方になっていくということなんでしょう。

本年もよろしくお願いします。
今日はこのへんで(^^

※こちら「ひまわり生活」実践編

※こちら「セミリタイア」のパイオニア本

思考と感情を全て書き出してスッキリしよう!

前回のエントリー「自分の人生を取り戻すため、紙の手帳に戻す!」に多くの反響をいただきました。
今回は、その延長として「書き出すこと」について考えてみましょう。

前回、紙の手帳とメモをセットで携帯することで、思いついたことをすぐに書き留めることができるということを述べました。
ふと頭に浮かんだことを手帳やメモに書き出すことには、実は想像を超える効用があります。
これについては「書き出す」ということができれば、手書きでなくても、エバーノートなどにタイピングしたり、ダイレクトにツイッターやフェイスブックで発信してもいいと思います。

大事なことは、頭の中のモヤモヤした思いを「言語化」して「吐き出す」という作業です。
これは、潮凪洋介さんの新刊「人生は書くだけで動き出す」に、「吐き出しライティング」という言葉で紹介されていました。
作業時間にしてほんの数分ですが、自分の考えたこと、感じたことを1行だけでも文字にしてみるのです。

書き出しイメージ

たったこれだけの作業ですが、自分の思いを吐き出すと頭がスッキリします。
自分の思考と感情が言語化できると、快感を得ることすらできるのです。

「若者がキレやすくなった」というようなことが言われたりしますが、その原因のひとつには、若者のボキャブラリーが減っていることもあると思います。
ボキャブラリーが減るということは、自分の思考や感情を表現する選択肢が減るということです。
「マジ」とか「ウザ」とか「ヤバ」とか「キモ」とか、そんな言葉ばかりで、自分の思いを表現しなければならなくなっているわけです。

でも、人間の思考や感情は、もっと複雑なはずです。
自分が本当に思っている複雑な気持ちをうまく表現できないと、ストレスが蓄積し、最後にはキレてしまうというわけです。
モヤモヤした思いをきちんと整理して言語化するという「吐き出しライティング」には、こういったストレスを溜めないという効用があるのです。

これを実践して、自分の思いを言語化して書き出すと、あらためて自分が何を考えていたのかに気づかされることになります。
「自分は、こんなことを考えていたのか」
「自分は、こんなふうになりたかったのか」

なりたいこと、つまり「自分の願望」が言葉になると、今度はそれをどうやって達成していくのかに思考が及びます。
願望を達成するために何をしなければならないか、つまり「やるべきこと」がハッキリしてくるわけです。
ならば、これもどんどん書き出していきましょう。

そして「やるべきこと」が言語化できると、それを「実現するためのアイデア」も浮かんでくるはずです。
ならば、そのアイデアもどんどん書き出していきましょう。

どうですか?
自分の目標が言葉になり、その実現のために何から始めればいいかが見えてきませんか?
それが見えれば、頭のモヤモヤは、断然スッキリするでしょう。

こうやって毎日、思考や感情を書き出し続けることで、自分の行動や生き方まで変えていけるはずです。
大げさに言えば、自分の未来を自分で創っていけるわけです。

では、頭と気持ちがスッキリしたところで、今日はぐっすり眠って、明日からなりたい自分に向かって実践してみましょう。
今日はこのへんで(^^

自分の人生を取り戻すため、紙の手帳に戻す!

書店や文具店に行くと、ずらっと来年の手帳が並んでいる時期になりましたね。
ご存知の方もいると思いますが、僕はかなりの「手帳オタク」です。
若い頃にもったいない時間の使い方をしたという自責の念からか、時間管理に異様なこだわりがあるんですよね。

そんな僕ですが、今回、大きな決断をしました。
ここ1年以上、Googleカレンダーと同期アプリのデジタルスケジューリングを活用してきましたが、来年は紙の手帳に戻します!

●手帳で人生が変わる
僕は、「超手帳法」の著者である野口悠紀雄さんの影響もあって、手帳で人生が変わると考えています。
人生を有意義に生きたいというのは、誰しもが思っていることです。
なので、有意義な人生の中身、つまり「生き甲斐」について語られることは多いですよね。

でも有意義な人生を実践していくというのは生き甲斐の問題ではなく、自分の意志で時間を生み出してどう使うかという「時間の使い方のテクニック」の問題です。
そのテクニックをサポートしてくれるのが「手帳」だというわけです。

手帳は、誰かに指示された予定を記入しておくための「備忘録」ではありません。
自らが主体となって目標を設定し、そこに向かって自分のペースをコントロールしていく「スケジューリング」のツールなんですね。

●本当の手帳に必要な5つの機能
前述の野口悠紀雄さんの著書にもある、本来の手帳に求められる機能をまとめるとこの5つになるでしょう。

①能動的なタイムマネジメント。
人から「その時間、空いてる?」という受身で時間を奪われるのではなく、自ら時間を主体的にコントロールする機能。

②時間を「見える化」する。
埋まっている時間と空いている時間が一目でわかる機能。

③自分にとって重要な仕事のために、能動的にクリエイティブな時間を確保する機能。
上記の「空き時間」というのは暇というわけはありません。
むしろその逆で、その時間こそ自分にとって重要な仕事ができるわけです。
なので、やらされ仕事をしている人の手帳が真っ黒に埋まっているのに比べ、重要な仕事をしている人の手帳は空き時間が多く、手帳が白いのです。

④To-Doリストを作ることで、脳の記憶使用による負担を軽減する機能。
自分の脳にもキャパがあります。
その脳を案件のメモリーに使ってしまっていてはもったいないというわけです。
単なる記憶は手帳に任せて、脳の機能を出来るだけクリエイティブな作業に回します。

⑤脳が苦手な「短期記憶=思いつきアイデア」を逃がさずにメモする機能。
アイデアの降臨はコントロールできません。
それを記憶できず、「ああ、いいこと思いついたのになんだっけかなあ」というような経験は誰しもがあるでしょう。
これも、常に手元に手帳を持っていることで、すかさず記録することができるわけです。

●「超整理手帳」から「Googleカレンダー」へ
僕は何年もの試行錯誤の結果、2010年には野口悠紀雄さん考案の「超整理手帳」にバーチカルタイプ(曜日縦割りタイプ)が登場し、これに落ち着きました。
この手帳の特長は、8週間の長期スケジュール全体が俯瞰できるよう、ジャバラ式になっていることです。

超整理手帳1

この手帳を使い始めてから、自分の仕事を能動的に組み立てることができ、本も出版し、活動の領域を広げていくことができました。
しかし、スマホと手帳の両方を携帯することにストレスを感じていた僕は、ちょっとでも荷物を減らしたいという理由で、昨年の途中からGoogleカレンダーと同期アプリにスケジューリングを移行したのです。

紙にないデジタルの利便性はたくさんありました。
たとえば、
・スマホ、オフィスのPC、ノートPCなど、どこからでもアクセスできること。
・入力変更や削除など、編集が容易なこと。
・毎週の定例事などを一括で入力できるなど、コピーが容易なこと。
そして何よりも、当初の目的である「手帳を持ち歩かなくてよいこと」が大きいわけです。

しかし、デジタルスケジューリングにしてから、どうも自分で能動的に時間をコントロールできていない感じなのです。
上記の利便性が故に、人からの予定変更依頼にも対応しやすくなって、コロコロと予定を変更するようになったからでしょうか。
それに、やはりスマホの画面での時間管理は一覧性には厳しく、どうしても近視眼的な活動になってしまうようです。
やはり長期を一覧できるジャバラを常にデスクに広げておけるという、紙特有の効用というのは大きいと思いました。
ならばということで、来年は紙の手帳に戻そうと考えたわけです。

●「超整理手帳2015」の購入へ、しかし
僕は、もう一度自分の人生を取り戻そうと「超整理手帳」の2015年用を購入することにしました。
もちろん、こだわりは、バーチカルタイプであることです。
ところが、どの書店にもノーマルタイプは置いてあるのですが、バーチカルタイプはありません。
アマゾンにすら置いてないのです。

不思議に思っていろいろ調べてみると、2015年からバーチカルタイプのオリジナル版は廃止になって他社デザインによるコラボ商品のみとなり、しかもノグラボ(野口悠紀雄さんのECサイト)のみでの販売になるとのことでした。
ま、仕方ないので、早速それを購入しました。
が、しかし。
到着したものは、色は変なブルーで、紙の質も粗悪になっていて、かなーり残念なものになっていました。
バーチカルタイプは、一番需要があると思っていたのですが、どうしてこうなっちゃったんでしょうねえ。

超整理手帳2

まあとにかく、紙の質より人生の質の方が大事なので、今月半ばからはこれを使おうと思います。
うまく活用できれば、また能動的に時間を生み出せるようになるでしょうし、それをクリエイティブな仕事にあてて有意義に再投資していけると思います。
年々、人生の残り時間が少なくなると感じる今日この頃、時間の有効活用への執念がどんどん深くなっているんですよね(汗。

ちなみに、受動的な仕事に追われ時間を奪われた結果、気が付いたら定年になってしまったという状況は、「竜宮城シンドローム」と呼ばれています。
恐ろしいですよねえ(笑。

今日は、このへんで(^^

※この本、今回もう一度読み直しましたが、やはり深いです。

競争しないで、次に行こう!

先日、「共創マーケティング」についての講演をさせていただきました。
「共創」といっても、いろんなレベルで語られてきましたが、今回はわりと新しい領域に踏み込んでいます。

そのひとつがこれ。
オープン「amidus」プロジェクト

理想は語られてもまだ実現されていない、真のオープンイノベーション的なものを探りたいなと思ってのチャレンジです。

まあ、それはいいのですが、ここ最近は、他にもいくつか新しい領域の仕事を手探りしている感じです。

僕が新しい仕事の領域に行こうと考える時は、同じ領域で同じことが出来る人、つまり僕にとっての「競合」が増えてきた時です。
その領域で、僕じゃなきゃできない仕事というのが少なくなってきたからです。

もちろん、スポーツのように、「その種目で並みいる競合に打ち勝ってナンバーワンを維持していく」という選択もあるかもしれません。
ただ、僕はそういうタイプじゃなく、代わりになる人が増えてくると、次に目がいってしまいます。

「競争に勝つ」という話でいえば、古典になりつつあるマイケル・ポーターの「競争の戦略」という理論があります。
その後は、「ブルーオーシャン戦略」という理論も一世風靡したりしました。

これらに共通することは、「競争戦略」と言いながら、その本質は「競争しない戦略」だということです。
競合にガチで対抗するのではなくて、競争から逃げながら、勝てるところを探すわけです。

blue-ocean

僕の場合は、「勝てるところを探す」などというたいそうな話ではないですが、とにかく好奇心が優先されるというか、飽きっぽいというか、じっとしてられないというか・・・。
そんな感じだから、どんどん非広告領域に踏み込んでいってしまうのだと思います。

まあ、「何かを成し遂げたい!」というより、「好きなことを探して今を楽しみたい!」の方がしっくりくるタイプなんでしょうね。
それで新しいことが見つかればラッキー、という感じでしょうか(笑。

良いことなのか、良くないことなのか分かりませんが、ちょっと今の気持ちを整理してみました。
今日はこのへんで(^^

<

ちゃんと「自分の考え」を持つ方法

先日、ヴィレッジヴァンガードさんが主催する「雑貨大賞」というアワードの審査員をさせていただきました。
表彰イベントでは、受賞作品について評価のポイントを聞かれて、甚だ恐縮ではありますがいろいろとコメントしたりしてきました。

雑貨大賞

いつからかこんなふうに、何かの出来事についてコメントを求められたり、本の書評を依頼されたりすることが増えました。
ある事に対する「僕自身の考え」を聞かれて、パッと答えなければならない場面が増えてきたということです。
でもこれって、そんなに簡単なことじゃないんです。

例えば、テレビのニュース、新聞の記事、ネットの情報を見せられて、「どう思いますか?」と聞かれたらどうでしょう?
さらっと、気の効いたコメントをできるでしょうか?
なかなか難しいですよね。
ここで思考停止に陥らず、どんな内容であってもコメントするにはどうしたらいいのでしょう。

齋藤孝さんの著書「5日間で『自分の考え』をつくる本」には、こんなふうに述べらていました。
人が何かを見聞きしたとします。
ここですぐに何かを言える人が、「自分の考えがある人」
気の効いたことが言えない人が「自分の考えがない人」
というのです。

つまり、きちんと「自分の考え」を持つことが、こういった場面に対応できるようになることというわけです。
そして、その「自分の考え」をつくるために最適なトレーニングがあるといいます。

それが「レビューを書く」ことです。
本や映画や音楽、旅行やクルマや鉄道、ネット上にあるいろんなサイトにレビューを書くことで自分の考えを明確にしていくわけです。
僕も、レビューを書くことを実践しています。

レビューというのは単なる感想文ではありません。
この映画や曲が「好き」とか「キライ」とか、個人の好みを語っても受け手にとっては価値がありません。
「一生懸命さを感じる」や「心に響く」や「誠実だ」などの抽象的な表現も価値がありません。
「自分の立ち位置」を明らかにして、「どんな視点で語るか」にこそ価値があるわけです。

この本には、「いいレビューは社会貢献だ」とまで述べられています。
音楽でも映画でも、いいレビューやコメントは、それを読んだ人を新しい世界にいざなうことになります。
それは、もう社会貢献に値するというわけです。

「自分の考え」を述べられるようにすることは、自分自身への貢献でもあると思います。
世の中にはいろんな出来事で溢れています。
そういったひとつひとつの出来事に対して、自分の立ち位置、考えを明確にしていく。
それは、それらを何も感じずに素通りさせることよりも、ずっと人生を豊かにすることだと思うわけです。

ということで、今日はこのへんで(^^

プレゼンで一番大事なこと

先月の話ですが、「アドテック東京2014」というデジタルマーケティングの国際カンファレンスで話をさせていただく機会がありました。
「共創マーケティング」という今まさに取り組み中のプロジェクトをテーマにしたこともあって、ちょっとモヤモヤした話になってしまい、もう少し価値のある話ができなかったかなあと、ちょっと後悔しています。

仕事柄、人前でプレゼンする機会が多いこともあって、2年前に「学校でも会社でも教えてくれない企画プレゼン超入門」という本を出版しました。
でも実は、僕はプレゼンが得意な方ではありません(と、自分では思っています)。
だからこそ、他の人のプレゼンをいろいろと学んで本にまとめたというわけです。

そんなこともあり、プレゼン関連の書籍の新刊を目にすると、迷わずに買って読んでしまいます。
勝間和代さんの新刊、「稼ぐ話力〜相手を腹落ちさせるプレゼンテーション術(毎日新聞社)」も読みました。

この本、現在amazonで、4つのレビューが4つとも星1つという恐るべき低評価となっています。
最近の勝間さんの本って、どれもこんな評価になってしまいますが、いつからこんなにアンチが増えたんでしょうか...。

ま、確かにどこかに書いてあった情報を編集したような薄めの内容ですし、何より「稼ぐ」という煽りタイトルが、今の空気感にそぐわないとは思います。
でも、気づきのある言葉もあるし、極めて基本的な話ではありますが、要点も整理されています。
せっかく読んだので、ちょっとメモしておこうと思いました。

冒頭で気づかされたのは、「うまいプレゼンは、うまい日常会話の延長線上にある」ということです。
つまり、「普段の話し方がうまくないのに、プレゼンだけがうまくなることはない」ということ。
プレゼンの上達には、普段のコミュニケーション力の向上が必要だというわけです。

その普段の話も含めて「伝わらない」原因は以下の3つだと述べられています。

1.話しすぎー余計な情報を話しすぎて要点がつかみにくい。
2.そもそも日本語が論理的構造でないー英語のように価値観の違う多民族を対象にした言語でない。
3.相手の存在を忘れているー自分の言いたいことだけ言って、双方向の対話になっていない

これらの課題を以下の基本ステップで解決しようと述べられています。

1.相手に軸を置くー相手が聞きたいこと、聞きたい順番で話す。
2.全体像から話すー最初に「目次」を伝える。
3.情報密度に気をつけるー対話できずとも相手にとって価値ある情報の含有率を高める。

この改善された「内容」と「資料」と「非言語コミュニケーション」を掛け合わせて、どれだけ相手にを腹落ちさせるかというわけです。
本書の最後の方には、この「資料」、つまりプレゼンスライドの作り方、「非言語コミュニケーション」、つまりジェスチャーや身なりについても述べられています。

ま、そりゃそうだろうという感じですが、いいアタマの整理になりました。
でも、伝わるプレゼンのためには、もっと根本的なところで大事なことがあります。

それは、「プレゼンターが、誰よりもプレゼンの内容を理解していること」だと思います。

これは本書でもさらりと触れられていますが、僕はこれが、最も重要なことだと思うのです。
ネットで集めてきただけの情報や、借り物のフレームワークではなく、自分が経験し自分のアタマと言葉で組み立てた内容であることが説得力を生み、人の気持ちを惹き付けるということです。

僕の周りでも、魅力的なプレゼンをする人がたくさんいます。
彼らに共通する点は、「その本人にしか話せない内容である」ことです。
なぜ本人にしか話せないか。
その本人が、自分の経験を元に自分のアタマで考えたことだからです。
それは、誰よりも本人が内容を理解しているということです。

本当に聞きたい話であれば、下手な話し方でも本人に話を聞くしかない。
話力といったテクニカルなものは二の次になります。
これこそが、プレゼンで一番大事なことだと思うわけです。

これが大前提の上で、話力の向上に努められれば、それに越したことはありません。
はい、今日は、このへんで(^^

※勝間和代さんの著書、ボロカスの低評価ですが一応紹介させていただきます。

※こちらは拙著

刑事コロンボのインサイト力

先日、仕事チームの後輩に「いや、例えて言うなら刑事コロンボみたいなもんだよ」と説明すると、「どういう意味ですか?」と返されました。
なんと、刑事コロンボを知らないらしいのです。

僕は夏になると、推理モノやハードボイルド系の小説を読んだりや映画を観たくなるクセがあります。
今年の夏は、刑事コロンボのDVDを1話から観直して、ハマりまくっていたですが、これはやはり素晴らしいドラマです。

いくら世代じゃないと言っても、これを知らないのはもったいない。
とはいえ、1968年から1978年まで放映されたテレビドラマということなのでしょうがないかもですね。

このドラマは、医者や作家、映画俳優や建築家といった知的で社会的地位も高い犯人が、完全犯罪を狙うも、ボサボサ頭にヨレヨレのレインコートをまとった小柄で一見愚鈍なコロンボにアリバイを突き崩され、自ら破滅の道に転落していくという展開で進みます。

columbo

ふつうの推理モノは、状況証拠や目撃者の証言などで真相解明をしていきますが、コロンボは違います。
完全犯罪を目論む犯人(容疑者)に、捜査状況や自分の推理をいちいち話し、そのときの感情の揺らぎやちょっとした発言から差異をあぶり出し本人に突きつけるという、理詰めで追い込んで犯行を認めされる手法をとります。

犯人とコロンボとの緊迫感あふれる会話の駆引き、そして静かに確実に追い詰められていく犯人の葛藤や焦りといった感情描写が醍醐味なのです。
考えてみると、僕の今の仕事のベースになっている「人間観察好き」の原点は、幼少期にハマっていたこの「刑事コロンボ」にあるのかもなあとも思います。

学ぶべきは、コロンボの洞察力、つまりインサイトの力です。
例えば、このドラマでは、よく犯人が、被害者を自殺に見せかけて殺害するという設定があります。

現場では、みんなが死因を特定するための鑑識などを進めていますが、コロンボだけは被害者のベッドサイドに置いてある読みかけの本など、全然ちがうところを観ています。
そして「今から死のうという人間がこんなお気楽な本を読むかねえ」とかいって、他殺の疑いをかけていくわけです。

こういう人間の心の奥を読むインサイトの力は、マーケティングや広告の領域でもすごく重要なものです。
というのも、マーケティングや広告の施策は、「人はこんなふうに行動する」という仮説を前提に組まれるからです。
しかし、これがかなり読みの浅い、形骸化した仮説を元にしているケースが多いのが現実。

テレビでCMを見て、そこに検索窓カチッという表記があるのでネットで検索し、訪問したウェブサイトにはキャンペーンの告知があるのでクーポンをダウンロードし、そのクチコミを広げ・・・。
いやいや、ナイナイ。
そんな都合よく、人は動きません。

人を取り巻く情報環境はもっと多様だし、人間のモチベーションはもっと複雑です。
その点でも、コロンボに登場する犯人は、社会的地位の高いお金には困っていない人たちなので、今の一般的な人々に近い感覚があるんですよね。

第一話では、コロンボが頭脳犯の犯人(容疑者)に対してこんなことを語るシーンがあります。

「殺人犯といっても、多くの場合は、殺人は初めてなんです。
 つまり、素人だ。
 しかし、こっちは年がら年中、殺人を取扱っている。
 つまり、プロだ。
 負けるわけないんですよ」

このひと言で、コロンボをバカにしていた犯人の表情がガラッと変わるのです。

僕を含め、マーケティングや広告に関わる人たちもこうでなくちゃなりませんよね。
今日は、このへんで(^^