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「自分の考え」なんて変わって当然

最近、あんまり経験したことのない、新しいタイプの仕事をたくさん抱えています。
というか、あえてそういう仕事ばかり選んでいるどうしようもないマゾということなのですが。

そういった新しい仕事へのチャレンジでは、要所要所での判断や決断が本当に難しいなあと、心底感じています。
なかなか、自分の決断に自信を持つことができません。

経験がないので、当たり前と言えば当たり前ですが、一度決断したことでも、翌日になってから「うーん、やっぱり違ったかな」といって意見を180度変えてしまったりします。

以前は、自分が判断や決断したことを、こんなふうにコロッと変えることに抵抗を持っていました。
「男に二言なし」まではいきませんが、一度決断したことを変える、いわゆる朝令暮改というのが格好悪いと思っていたのです。

でも最近は、そんな自分の考え方自体を変えました。
作家のジョンキムさんの本にあった、こんな言葉に共感したこともあります。

「今日の自分は昨日より成長している。考えは変わって当然である」

そうですよね。
僕だって、昨日より今日の方が成長しているはず(と思いたい)。
明日はもっと成長していたいです。

成長するに従って価値観は変わるのは、当たり前。
ならば、「自分の成長」という軸にさえ一貫性があれば、昨日の決断にこだわるなんて意味がないということなんですよね。

自分の考え

そして自分の成長を信じるなら、常に「他にも正解がないかどうか」という視点を持ち続けたいところです。
そもそも目指していたゴールでさえ、違うと感じたら変えるべきだと思います。

逆に言えば、考え方が変わるというのは、自分が成長している証拠なわけです。
昨日の自分の決断に変に縛られることなく、成長するにしたがって、どんどん新しい決断をしていく。
そんなふうに、しなやかに生きていきたいなあ、と思うのでした。

いや、言い訳ではありませんよ。
今日は、このへんでー(^^

自分に自信がないとモノが増える

7月も終盤になって、本格的に夏が来ました。暑いですねえ。
僕のいる社では大規模な組織変更があって、それに伴うデスクの引っ越しがありました。

自分では普段からデスク周りの整理をしているつもりなのですが、いざ引っ越しになると、大量にモノを溜め込んでいること気づいて愕然とします。
ひき出しからキャビネからクローゼットまで、書類やら文具やらなんやらギュウギュウに詰め込んでいて、まるでハムスターのようです。

そんな僕がいうのもなんですが、実はモノが増えるのには理由があります。
それは「自分に自信がないから」です。

これは、仕事でもプライベートでもそうです。
過去の書類、資料、洋服から本やCD、DVDまで。
「もし何かあったらどうしよう。そんな時に備えて、あれも捨てられない、これも捨てられない・・・」
モノをたくさん溜め込んでしまうのは、人間の自信のなさの表れなのです。

周りを見渡してみると分かりますが、仕事のできる人たちは、みんなモノが少なくてデスクやクローゼットも本当にキレイです。
有名人でいうと、大前研一さんや佐藤可士和さんの仕事場などは、美しいほどに整理されていますよね。
自分に自信があると本当にモノは少なくて済むわけです。

で、僕も自信のなさをモノでカバーするのをやめようと奮起して、今回の引っ越しで大量にモノを捨てました。
過去の書類や資料、完了した仕事の成果物、たくさんの文具、名刺や挨拶状、参考本からDVDやCD、などなど。
どうしても必要な紙資料は、面倒だったのですが、すべてPDFに電子化してDropboxにアップしました。
すると、僕のデスクは、デスクトップのPCを残してスッカラカンになりました。

で、僕、社のデスクに行く理由がなくなってしまったのですね。

clean desk

僕の仕事は、プロジェクトごとに組織横断のチームでやっているので、チームそれぞれのデスクが近いわけではありません。
もともとデスクに固定電話を置いてないので、連絡はメールかフェイスブックかLINEです。

なので、iPhoneとノートPCと社のIDカードとサイフとカギと歯ブラシくらいをバッグにいれて、仕事現場から仕事現場に渡り歩いているのですが、書類関係をすべてDropboxにあげたら、いよいよデスクに行く理由がなくなりました。
あれ、これって今やなつかしい響きもありますが、つまり「ノマド」ということですよね。

身も心もここまで軽くなると、自信があるとかないとかを通り越して、すがすがしさで仕事がしやすくなるなあと感じている状況です。
やっぱり、空間や時間に空きがないとアイデアって生まれませんよね。
いや、企画のアイデアに限らず、生活していく上での話です。

人生って、自分の出すアイデアの多さで達成されるように思います。
たくさんアイデアを出して、どんどん自分で選択していく。
それが、自分の人生を豊かにしていくんだと思います。

なんか片付けの話から人生の話にまで広がってしまいました。
今日は、このへんでー(^^

原稿を書くのが遅いことに気がついた

今、宣伝会議のウェブサイト「アドバタイムズ」で、週一回のコラム連載をしています。
コラムのタイトルは「いいかげん、脱・広告宣言!」。
説明するのも野暮ですが、「いい加減、早くしろ」という意味と、とはいえ「そんなに固く考えずに適当に」という意味とのダブルミーニングになっております。

広告会社の社員でありながら、こんなタイトルで発信することにやや不安を覚えながらスタートしましたが、もう次で10回目を迎えます。
全部で12回の契約なので、あと3回ですね。

こういったコラムの原稿は、このブログなどと同じく本業とは別と考えていたので、気分が乗ったときなんかに時間を見つけて書いていました。
でも最近は他にもいろいろと寄稿の依頼をいただいたり、本業とは少し違う講演なんかも増えてきて、さすがに気分だけで対応することが難しくなってきました。
つまり、本業と同じように「生産性」を意識してやらないと追っ付かなくなってきたのです。

そこで、時間を測りながら原稿を書いたりするようになったのですが、僕は本当に書くのが遅いようです。
いつも白い紙に手書きで簡単なプロットを書いてから、頭に浮かんだ言葉をワードに打ち込んで、それを切り貼りするようにしてつなげていくのですが、こんなやり方で書いていくと、1000字書くのに2時間もかかっています。
「脱・広告宣言」は、2500字くらいあるので、毎度4時間以上かかっているような状況なのです。
改めて自覚して、びっくりです。

グロースハックデスクイメージ

そして本当にうれしいことなのですが、こういったコラムを書き始めると、その内容関連の仕事の相談をたくさんいただくようになります。
締め切りギリギリに原稿提出して、それが掲載されるとそのテーマについての仕事や講演の相談を受け、また次の原稿を書く時間が取れなくなってきて・・・、という好循環(?)が生まれてくるわけです。

というわけで、今はどうやって書くことの生産性を上げられるかを模索中。
でも、時間を意識するだけで少しは早くなってきているようにも思います。
まあ、これもある程度はトレーニングなんでしょうね。

「脱・広告宣言」については、これまでの掲載分をまとめておきます。
おヒマなときにでも。

第1話広告をしないクライアントを迎えよう!
第2話グロースハックとは、結局コミットメントの話なのだ
第3話コンテンツマーケティングは自転車のように乗りこなそう!
第4話数字の苦手な僕がデータサイエンスに向き合う理由
第5話そろそろ、組織名から「デジタル」を外そう!
第6話テクノロジーと「Wow」の関係は、ドラえもんに学べ
第7話ウェアラブルがもたらすのは、幸せか、あるいは…?
第8話「意識の95%は非言語」に広告の未来があるかも
第9話リアルタイムマーケティングは体制だけじゃできない!

今日はこのへんで(^^

カメがウサギに勝てた本当の理由

新社会人、新学期、転勤や転職での新しい職場環境や、昇格などによる新しい立場での仕事などなど、4月はいろんな人が新たなステージを迎える時期ですね。
電車やオフィスでも初々しい若者を見かけて、こちらもウキウキする一方、新しいチャレンジを始めた同僚を見てはソワソワしたりです。

この時期、僕はいつもイソップ物語の「ウサギとカメ」の寓話を思い出します。
僕はこの話が大好きで、よく話をするので聞いた人もいるかもですが、あらためて紹介しますね。

うさぎとかめ

この寓話は有名なので、ご存知ですよね。
ウサギとカメがかけっこをしていて、ウサギが油断をして昼寝をしていたらカメに抜かれてしまったという、例の話です。
この教訓は、「能力があっても油断をしてはいけません」とか、あるいは「能力がなくてもコツコツと地道な努力を続ければ報われる」というのが一般的でしょう。
でも本質的な読み解きは、次のような教訓ではないかというのです。

『ウサギはカメを見ていた。しかしカメはゴールを見ていた』

一見、二匹は互いに競争しているようです。
しかしカメは、初めからウサギのことなど関係なくひたすらゴールに向かって歩いていたのです。
それに比べ、ウサギはゴールよりもカメのことばかり気にしていた。
勝敗ではなく、課題に向かうカメの姿勢こそが教訓というわけです。

ライフステージが変わる時期には、他の人の動向がそわそわと気になったりもします。
でも他人と比較していたり、周りの評価ばかり気にしていては、ゴールを見失ってしまいます。
これは仕事でも、大げさにいえば人生でも一緒です。

本当のゴールが見えていれば、周りが走っていようが、休んでいようが関係ないですよね。
大事なことは、現在の自分のポジションを見極め、ゴールに向かってひとつひとつ課題をクリアしていくことだけです。
カメはそんなことを教えてくれているのではないでしょうか、という話。

日本の社会では、新卒一括採用システムからか、同期や同僚との競争や動向を必要以上に意識しすぎているように見えます。
もちろん、競争もいい方向に作用しているうちはいいのですが、それで自分の目指すところがブレてしまっては意味がないですよね。

ということで、毎年この時期になるとこの話を思い出して、カメを見習ってもう一度自分のゴールを確認することにしています。
はい、今日はこのへんで (^^

イラスト出典:「仁愛大学キャンパスブログ」より

大人ドイツの旅「田舎町ツェレ」で見たものとは?

仕事でドイツに行ってきました。
「やれやれ、またドイツか」とは、村上春樹「ノルウェイの森」のはじまりの場面。
僕の場合は2回目なので、まったく詳しくありません。
前回はフランクフルトでしたが、今回はハノーファーを中心に北の方をウロウロしました。
まあ派手さはないですが、ここは大人の旅ということにしましょう。

さて、ドイツ料理といえば、ジャガイモとソーセージ。
マズいとはいいませんが、南フランスやイタリアなどの南欧の料理のように美味とまではいきません。
このへん、ちきりんさんの書籍「世界を歩いて考えよう!」に納得の解説があります。

欧州でも北欧やドイツなど北に位置する寒い地域の料理には、保存の利く塩漬けや酢料理、根菜類が多い。
一方、南フランス、イタリア、ギリシア、ポルトガル、スペインなど地中海に面した温暖な気候の地域では、新鮮な魚介類も豊富だし、取れ立ての生野菜をふんだんに楽しめる。
「調理」という定義が、北欧では「保存して冬を乗り切るための方法」なのに比べ、南欧では「美味しく食べるための方法」なのだから、勝負にならないというわけです。
ドイツ料理

さて、ドイツは年間を通じてどんより曇った天候が多いです。
欧州でもこういった場所では、太陽の光を求めて南の方へ旅行するニーズが高いようです。
これもちきりんさんの本からですが、
ドイツから海外への年間渡航者数は、フランスへの渡航が1位(約1200万人)。
一方、フランスから海外への年間渡航者数で、ドイツへの渡航は8位(約120万人)。
およそ、10分の1というドイツの片思いっぷりなのです。
ちなみに、イギリスとスペインもちょうど同じような関係です。

といっても、もちろんドイツにも素晴らしい場所はたくさんあります。
今回、ちょっと立ち寄ったツェレという田舎町は、ため息のでるほど美しい町でした。
ツェレ1

こんなふうに戦時の被害を逃れて、昔ながらの木枠の家がすべてそのまま残っているのです。
(一応、触れておくとアンネフランクが最後を迎えた収容所が近くにはあります)
小さな街並は、まるで童話の世界から飛び出してきたようです。
ツェレ2

午前中は、このように朝市が開かれています。
美しい花屋、根菜類を中心とした野菜、ソーセージやチーズの屋台などなど活気溢れる生活感が楽しめます。
ツェレ市場

木枠の家はそれぞれ個性的なデザインで、建築年などが彫り込まれています。
中でも「ホッペナーハウス」と呼ばれる家が、もっとも美しいという情報を得ました。
で、僕もグルグル歩き回って、そのホッペナーハウスを見つけました。
ホッペナー1

確かにひときわ凝ったデザインで美しいです。
ドイツ語なのでよく分かりませんが、「これがホッペナーハウス」的な説明看板もぶら下がっています。
ホッペナー2

ところで、このホッペナーハウスは、何を営んでいる店なのでしょう?
入り口をみて驚きました。
ホッペナー3

・・・アップルストアです。
正確にはその契約店(プレミアム・リセラー)ですが、店内はいわゆるアップルストアの内装とディスプレイがそのままでした。
いや、目のつけどころが違いますね。
ドイツに来る前に立ち寄ったパリでも、ノートルダム大聖堂のすぐ前に巨大なアップルストアが開店を控えて工事中でした。
そのうち日本でも、金閣寺や龍安寺の一角にアップルストアが出店するのではないかとさえ思えてきます。

えー、ドイツと関係なくなってきました。
今日は、このへんで(^^

40代は広告業界で中途半端か?

自分のキャリアについて普段なんとなく感じていたことが、佐々紀彦さんの著書「5年後メディアは稼げるか」に、うまく言語化されていました。
それは、「今この業界で、40代というのはなんとも中途半端ではないか?」ということです。

本書は、新聞や雑誌などの紙メディア業界をテーマにしたものですが、広告やテレビなど、提供サービスがデジタル領域へシフトしていく業界では同じでしょう。
デジタル化といっても、単に今まで紙だったものがウェブサイトになるというようなことではありません。
デジタルが戦略のコアになって、あらゆる企業活動がデジタルを起点とするものなるということですね。
もっと言えば、デジタル部署が、会社のエースを投入するポジションになるということです。

で、以下、引用。
—————
率直にいって、40代のメディア人はこれからかなり厳しくなると思います。
今の40代はいかにも中途半端だからです。
50代、60代ほどではないにして、紙への愛着が強く、紙のモデルが体に染みついており、ウェブなどの新しい動きは頭で理解できても体で感じることはできません。
さらに、40代中盤以上の人たちはバブルを経験しており、昭和モデルの中で生きてきたため、ブランド主義というか、いろんな意味で古いヒエラルキーを意識している人が多いように感じます。
—————

まあ、本書にもありますが、新しい業態に向かうにあたって最も有害なのは、古い世界の固定概念です。
「ネットよりリアルの方がエラい」とか、「年上に意見してはいけない」とか、「物事を進めるにはみんなのコンセンサスをとる」とかの思い込みが、大きな妨げであると言います。
そうではなく、部署や社、専門や国の垣根を越えて、誰とでもフラットに付き合う姿勢や、失敗を恐れずにまずはやってみようというようなマインドが、ネットの世界にフィットするわけですが、40代はそういったカルチャーになじめないのではないかというわけです。

これは、ネット革命が起きた時代背景の結果、そうなってしまったとしか言えませんね。
なので、年功序列にこだわってる場合でなく、早く30代以下にチャレンジの場を譲れというわけです。
ちなみに50代はもう完全な管理職として、いろんな責任ポジションに30代以下を登用すればよいと言います。

たしかに、40代ががんばるほどに、旧来システムからの脱皮が遅れそうだというのはわかる・・・と、一般論としては理解しつつも、僕も40代として「そこまで言われて黙ってられん」という気持ちもあるわけですね。

forty age

では、僕らの世代がこれからの業界に貢献していくにはどうしたらいいか?
実は、そんなに難しいことではないと思っています。
それは、これまでやってきたことを実績とせず、じゃんじゃん捨てて、どんどん新しいことをやっていくことかと。

僕の場合、途中からこの業界に入ってきたので、年のわりにはまだキャリアは12-3年といったところですが、それでも実績をじゃんじゃんリセットしています。
そうすると、イヤでも新しい領域に向き合うしかありません。
それは自分だけでなく、誰もやったことがないという意味での新しい領域です。
何が成功で何が失敗かもよく分からないので、失敗は怖くないし、へんな自尊心もカラッとなくなってしまいます。

そんな大人げないチャレンジが本気で楽しいと思えたとき、「中途半端」というポジションから抜け出せるのかもしれないなあと、そんなふうに思うのでした。
今日は、このへんで(^^

「ヤンキー」が注目される3つの理由

昨年ぐらいから、「ヤンキー消費」に関する議論が盛んですね。
といっても、昔あったビーバップハイスクールのようなヤンキーではありません。
地元友達と家族ぐるみの付き合いで、ミニバンでEXILEを聞きながらイオンに行き、フードコートで食事する。
そんなやさしく進化したヤンキーが、実は消費やテレビ視聴率のカギを握る存在として注目されているんですね。

原田曜平さんの著書「ヤンキー経済」を読みましたが、その実態がよく分かり、とても勉強になりました。(ちょっと、彼らをあまりにも得体の知れないものとして扱い過ぎているので、ちょっと失礼かなとも思いつつ)
今後ますます、彼らがいろんなところで主役になっていくのは間違いなさそうです。
そのあたり、少し整理してみますね。

1.やっと正体が解明されつつある
実はこの層、ネットで行うマーケティング調査などに引っかかりにくいため、ボリューム層だと言われながら、実態解明がなかなか難しかったようです。
本書は、多くの調査員が知人の紹介をつてとして人海戦術を行ったとのことで、そのデータに価値があると思います。

本書では、今のヤンキーを2種類に分けて定義されています。
ひとつは、「残存ヤンキー」と言われる人たち。
昔ながらの悪羅悪羅(おらおら)的なところはありながらも、EXILE的なオシャレに身を包んでいます。
ただこちらは、絶滅危惧種のように減っているとのこと。

多いのはもうひとつの「地元族」と言われる人たち。
中学時代からの地元友達と家族ぐるみで付き合い、その関係を最も大切にしています。
そのため、生まれ育った地元の半径5キロくらいから絶対に出たくないらしいです。
就職も地元(地元企業からカラオケやパチンコ店員なども)、遊びも地元(イオンやラウンドワンなどの大型施設から近所の居酒屋や友達の家なども)、知らない人と同居する電車を嫌い、友達と一緒に乗れるミニバンで移動します。
これからのマーケティングでは、彼らの行動こそが注目されるべきというわけです。

2.消費の主役になっている
それは、なぜか?
都心の高感度層は、「コト」への消費、つまりカフェ代や飲み代、通信費などの出費を優先し「モノ」を買わなくなっていますが、彼らヤンキーは、車、タバコ、ブランド品、ショッピングモールでの買い物など、比較的「モノ」を買っているからだと言います。

彼らの価値観は、大きな野望をもって社会的な成功を手にするところにありません。
地元との友達関係をずっと変わらず維持していくところにあります。
そのための消費には、積極的だというわけです。
たとえば、友達がみんな乗れるミニバン、ビールではなく友達と一緒に飲むため焼酎のボトル買い、タバコ、パチンコ、パチスロ、ゲームセンター、キャラクターものや、ディズニーランド通いなどなど、など。

また、ITへの関心度が低いのも特徴とのこと。
スマホ所有率はあがっていますが(本書の調査対象では9割近くがスマホを所有していたと)、ガラケーとほぼ同じ使い方しかしていないのが実態です。
機種のデザインやブランドイメージ、細かい機能性へのこだわりは低く、「家族割り」が使えるかがキャリア選択のポイントになっているようです。

あと、ツイッターやフェイスブックなどのSNSを、LINEのように仲間内だけのツールとして使っているのも特徴です。
本書にもありますが、本来SNSは、国や社会階層を飛び越えてつながりを広げることで、一般の人もレディーガガや孫正義さんと会話できることに意味があります。
彼らは、そんな思想とは真逆に、地元の友達との連絡掲示板として使っています。
彼らには、彼らのニーズがあるんですよね。
提供側が、そこに応えきれていないから、合わないサービスを無理に使っているのかも知れません。

3.これからの時代の「マス」になる
これは本書では述べられていませんが、正体が解明されつつあるヤンキー層は、相当なボリューム層で、消費だけでなく、あらゆるところで主役になっていくと思われます。

テレビの視聴率を見ていても、僕の周りではあまり見られていないものが、結構な数字を取っていたりするのは、彼らのおかげなのかもしれません。
選挙の投票率がふるいませんが、それも彼らの動向次第なのかもしれません。
もはや、「マス=大衆」とは、彼らを指す言葉になりつつあるわけです。
戦略として、ボリュームゾーンを獲るのなら、彼らをターゲットとしたマーケティングが優先されるべきです。
「若者の消費離れ」とは、つまるところ、彼らの志向を捉えきれていない商品やサービスが引き起こしているのかも知れませんね。

また、ヤンキーは、家族をつくることを大きな幸せとしています。
少子化と言われる世の中で、彼らには若くして複数の子供を授かる人も多いです。
そんな彼らの子供が、またヤンキーとして育ち、子供を増やしていくと、数十年後には日本の人口の大部分をヤンキーが占めることになりますね。
名実共にマスになる日が来るわけです。

さて最後に、本書にあるエピソードで、すごく面白いと思ったものを紹介します。
本書の調査を担当した女子(大学生)が、かつての友達である地元族に話を聞いていたところ、「お前は、もっと普通になった方がいい」と、説教されたと言います。
「地元友達を捨てて、大学の活動だけでなく、東京の企業や社会人と接して活動しているなんて理解できない。周りの地元の女子は、毎日EXILEの話で盛り上がり、地元の居酒屋で飲んでエンジョイしている。もっと地元の飲み会に顔を出して普通の女子に戻って欲しい」と、切実に語ったそうです。

そう、すでにそっち側が「普通」なんだなあと考えさせられる印象的な話でした。
今日は、このへんで(^^

※3/4追記:この記事、多くの方にお読みいただき有難うございます。
イラストは権利関係上掲載を外しました。ご了承ください。

セヴァン・スズキの「地球のなおし方」を聴いてきた!

みなさんは、セヴァン・スズキさんを覚えていますか?
1992年、当時12才、カナダの少女だったセヴァンさんは、リオデジャネイロで開催された「地球サミット」に出席し、今でも語り継がれる伝説のスピーチを披露しました。

「どうやってなおすか分からないものを、壊し続けるのはもうやめてください」

世界の大人たちに、地球の環境破壊や貧富格差に対する意識改革を訴えたのです。
当時、僕は社会人1年生になったばかりで、「さあ、稼ぐぞー」と意気込んでいたため、このメッセージにものすごく衝撃を受けました。

その後は、エール大学で生物学を学び、国連委員やNGO代表などを歴任。
環境運動家として精力的な活動しながら、結婚をして一児の母になったセヴァンさんですが、なんと今、来日しています。
で、昨日、その講演を聴いてきました。

以下、ちょっと長いですが、その内容を要約しつつ書き起こしました。

ーーーーーーーーーーーー
こんにちは、セヴァン・スズキです。
私は昨年、「ダウンシフト=生活減速」して南の方に移住しました。
原生林の中で、ハイダグアイ族という民族のコミュニティの一員になりました。

実は、この時期、こんな都会である日本に幼い子供を連れてくることを悩みました。
原発事故もあります。
日本とカナダは、遠いように思えて、海を隔てて隣同士です。
原発事故は生みの向こう側の私たちも関心事なのです。
やはり、いろんな問題の根幹はエネルギー問題のようですね。

私たちは、かつてない異常気象を迎えてますね。東京の大雪もそうかも知れません。
この気候変動は人為的なものが原因だと、いよいよ認めざるを得なくなっています。
もはや、そんなこと議論している時期ではないですね。
すぐに行動しなければならない状況です。

でも、本当はこういうのって、政治家の仕事じゃなかったのでしょうか。
私はリオでのスピーチの時、まだ政治家や世界のリーダーの力を信じていました。
だから、彼らに訴えたのです。
でもその後20年で分かりました。
政治家たちは、すでに巨大企業の支配下にあるということです。
たとえば、米国のウォルマートの売上は、GDPにすると世界で25位の国の規模になります。
こんな巨大な組織体でも企業である以上、その使命は利益を株主に還元することです。
市民の生活に責任を負うものではありません。
政治家たちは、こういった大企業の利害に支配されています。
世界の指導者たちは、私たちを良い方向に導く力も気力もなくなっているのです。

でもそんな中、対照的に、市町村やあちこちの地域で草の根レベルでの政治的なリーダーシップが生まれ、かつてないほど盛んになっています。
あちこちに持続可能な町が姿を現しつつあります。
ブラジル、パルマス銀行はすでに地域通貨をサポートしています。
イギリスのブリストル市では、市長が自分の給料を全額地域通貨で受け取っています。
バンクーバーでは、若者達のなかで一番カッコイイ職業は、都市農業です。
ブータンは本当の豊かさを世界に投げかけています。
トランジションタウンのネットワークが世界中に広がってますよね。
今回、日本でもスロームーブメント、脱成長ムーブメントが盛んになりつつあると知りました。

世界にはシステムがあって、人々が同じ枠組みで生きているように見えます。
でも、古いシステムも決して楽ではないようです。
最後のあがきに必死で、すべては今まで通りにいくという幻想を作ろうとしています。
変わらず経済成長を唱え、時間を稼いでいるように見えます。

カナダでも失業問題が深刻です。
でも、カナダでも世界中でも若者が自分たちの状況に意思表示をはじめています。
アラブの春やウォールストリートのオキュパイ運動。その兆しは至る所で見られます。
注目すべきは、彼らが一部の活動家でないことです。
一般の人から科学者、経済学者でさえ、大きな転換を呼びかけ始めています。
何かが起こっているのです。

さて、同じエネルギーでも、違う意味のエネルギーについて話したいと思います。
私たちの心のエネルギーについてです。
希望とは、何でしょうか。
希望とは変化を欲するエネルギーだと思います。
望んだ結果を作り出すエネルギーなのです。
それは、苦しい時、苦難のときにやってくるものです。
戦争、飢饉、伝染病の時にやってくる、人類を生き延びさせてきた力です。

たとえば、奴隷という立場を想像してみましょう。
人間にとって、奴隷ほど絶望的な立場はないでしょう。
彼らは、どうやって生き延びたのでしょうか。
心理学者によると、絶望的な状況になる程、希望が働きだすメカニズムがあるそうです。

マーチン・ルーサーキングは奴隷の子孫でした。
でも、彼は希望を失っていなかったでしょう。
そして、あれから僅かひと世代で、黒人の大統領が誕生したのですよ。

到底不可能だと思われることがあっても、想像力を閉ざしてはいけません。
希望と愛は結びついています。
現代社会は経済原理によって動いていますよね。
でも本来、私たちは、経済原理とは全く違う原理によって動くことを忘れてはいけません。
その最も強大な原理が、愛の力です。
お金も人を動かすモチベーションでしょう。
でも愛は、それとは全く違う方向に人を動かすモチベーションなのです。

1992年のスピーチの時、私は12才で、両親の子供でした。
そして今、私は母親になりました。
今になって、なぜあのときのスピーチを大人たちが熱狂的に受け入れてくれたかが分かるようになりました。
それは、子供に対する親の愛ほどパワフルなものはないからです。
全ての人々の心にある、次の世代に対する巨大な責任を思い出させたのでしょう。
次世代への愛が、私たちの中に希望を作り出すことを知ったのです。
さあ、愛と希望の力で新しい社会を導いていきましょう。
ーーーーーーーーーーーー

という内容でした。
僕の書き起こしでは雰囲気までは伝えきれないと思いますが、セヴァンさんは、非常に優しく説得力のある口調で語ってくれました。

彼女は、人々に使われるか分からないまま見切り発車される大量生産や、人々に食べてもらえるか分からないまま食用に殺される動物たちを救えないシステムに、問題提起をしています。

一見すると、僕は今、この主張と相反することを仕事にしているようにも思えます。
でも、広告コミュニケーションには、単純な大量生産と大量消費を煽るだけのものとは違うカタチがあるはずだと考えています。

大企業の行動原理だって、根源は生活者のニーズにあります。
人々の望みが先にあっての、企業活動なわけです。
ならば、やっぱり人々の意識改革で世の中は変えられるはず。
広告コミュニケーションには、そういったビジョンある生活者と企業の関係構築をサポートする力があると、僕は信じているわけですね。

この素晴らしい講演イベントを主催され進行を担当されていた「ナマケモノ倶楽部」世話人の高坂勝さん方々のお話もとっても有意義でした。
高坂さんの自伝書を紹介させていただきますね。

すみません、たいへん長くなりました。今日はこのへんでー(^^

セヴァンさんと

わかりやすい「説明」について考えよう!

新刊「わかりやすく説明する練習をしよう/リー・ラフィーヴァー著」を読んで、とっても感銘を受けました。
昨年から「伝え方」に関する本がブームになっていますよね。
本書は「伝える」というスキルのなかでも「説明」に特化したユニークな内容です。

「説明」という言葉。日本語ではなんとなく堅苦しいイメージがありますが、この本の原題は「The Art of Explanation」。
「Explanation」という単語になると、この本の指す「説明」とは何なのか、少しイメージできますね。

本書では、まず「説明でないもの」とは何かを挙げて、「説明」の定義を明確にしようとしています。
以下は、「説明ではないもの」です。
「描写」「定義」「指示」「詳述」「報告」「例証」。
いろいろありますが、つまり「説明」は、多くのコミュニケーション形式のひとつだということです。

では「説明」の定義とは?
本書では、「説明とは、事実をもっと理解しやすいパッケージに変えるアート(術)だ」と言っています。

実は、著者のリー・ラフィーヴァー氏は、IT系の新サービスをわかりやすく説明する動画制作の専門会社「コモンクラフト社」の創設者なのです。
たとえば、彼がコモンクラフト社を創設するきっかけとなった、「RSS」を説明する動画を見て下さい。

これは、自宅の部屋で撮影されてものとのことでが、彼の主張する「わかりやすい説明」というものがどういうものなのか、一発で理解できますね。
コモンクラフト社のウェブサイトでは、日本語版への切り替えもできますので、紹介しておきます。
「Common Craft videos」

彼が、こういった動画の制作をはじめたのは、こうしたオンラインツールの大半が無料で、簡単に利用できて、生活にプラスの影響を与えられるものなのに、説明のまずさが原因で、一般の人たちがそのツールを使っていないことが分かったからとのこと。
本書では、他にも「ドロップボックス」や「グーグルドックス」の説明をケーススタディとして取り上げていて、とても興味深いです。

これって、広告に関わる人たちにとって、すごく示唆のあるものだと思うんです。
多くの広告人は、「パーセプション・チェンジ」という言い方で、ある商品に対する、これまでの生活者のパーセプション(=認識)を変えることによって、その商品を手に取ってもらうという手法を売りにしてきました。

でも、オンラインサービスの分野では、これまで存在しなかった全く新しいサービスが、どんどん登場しています。
つまり、これらのサービスについては、そもそも生活者のパーセプションなどないのですから、そこにパーセプション・チェンジも何もないわけです。
こういった「世の中にこれまでなかった価値」を、どう説明するのか?
そんなノウハウが紹介されています。

もちろん、広告と関係のない人にも、気づきはたくさんあると思います。
この本の訳者も述べていますが、自分の考えや物事をキチンと「説明」してコミュニケーションをはかるということは、物事を突き詰めて考え、周囲と良好な関係を築き、ひいては人生の質が向上するということです。

つまり、「説明」とは、とても知的で、人間的で、クリエイティブな行為なんですね。
今日は、このへんで(^^

笑顔と根性よりプログラミングを

今さらですが、この年末年始、Xcodeを使って、iOSアプリをいくつか開発してみました。
これ、UIデザインから、ソースコード編集、デバック、App Store公開まで全部実行できて便利ですね。

僕のプログラミングは素人同然ですが、それでも思うのは、プログラミング知識と何を開発するかという発想のセンスがあれば、これまであった「かなりの仕事を代替できる」ということです。
もっと大きくビジネスとして捉えると、人の手を介さない課題解決を可能にするわけです。

たとえば、マーケティングやコミュニケーションの領域だと、生活者へソリューションを提供しながら、従来メディアを介することなく、ダイレクトなつながりを実現することが可能ですよね。
何を今さらという話かもですが、特に代理店というか、単に「中抜き」的な仲介業を生業にしているだけでは、その役割はどんどんプログラムにとって代わられるということです。
つまり、代理店の競合は、同業ではなく、テクノロジーなわけです。

こうなると、担当者の介在している意義が、「笑顔」とか「根性」とかになって、最終的には「キャラ勝負」みたいになってしまいますよね。
これは、まずいです。というか、不毛です。
でも、そんな中で、ソリューションを自分でプログラミングしてアウトプットを納品できれば、そんな泥試合に巻き込まれずに、新たな価値を提供できるかもしれません。

本田直之さんの著書「思考をやわらかくする授業」によると、1970年から1985年生まれくらいの人たちは、非デジタルとデジタルの過渡期を生きているので、どっちつかずで混乱している人が多いらしいです。
そしてやはり、こんな言葉が記されています。
「求められるのは、笑顔と根性ではない。プログラミング技術と発想だ」

もはや年齢も、文系も理系も関係ありませんね。
キャラ勝負に勝つために、疑問を持ちながらも、変な交渉術や組織の中での立ち回りを身につけようとしていませんか?
そんなことするくらいなら、ちょっとでもプログラミングの勉強をした方が良さそうです。

テクノロジーはもっともっと進化するし、普及します。
そして世の中、もっと面白くなっていくでしょう。
そこで、ちょっとでもプログラミングの知識があれば、この流れをチャンスにできるかもですね。

もちろん、自分への煽りも込めて。
今日は、このへんで(^^